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八九寺「じゃあ阿良々木さんがお嫁に貰ってくれますか?」 の続編?

 『かれんバタフライ』

 阿良々木火憐は僕にとって大切な妹だ。
もちろんもう一人の妹である月火も同様、
僕にとってかけがえのない自慢の妹達である。
それは妹達が生まれる前から、
そして僕が死に逝くその時も、
変わらないと断言できる数少ない事柄である。

 一見仲は悪くとも、しかし僕は本当に命をかけなければ
妹達を助けられないような状況になったら、
躊躇なく逡巡なく迷いなく戸惑いなく素直に命を投げ出せるほどに
それは強固で確固たる僕の矜持だった。

 なんてことを真昼間から堂々と言ってみると、
多分恥ずかしい奴だと僕が思われて終わりだろう。
妹達なんかは照れたり喜ぶよりも先に気持ち悪がるかもしれない。
「兄ちゃん馬鹿じゃないのか?」と火憐が呆れて、
「お兄ちゃん頭でも打ったの?」と月火が冷めたことを言う。
そういう兄妹関係だった。

 以前は。
 というのも、以前は上記のように
一見どころか百見したところで仲の悪い兄妹で、
僕は妹達のことを困った奴等だと呆れていたし、
妹達は僕のことを不甲斐のない兄だと哂っていた。

 だと言うのに、最近はそれが変わってしまった。
いや、なにも本気で互いを憎みあうほどに険悪な仲に悪化したわけではない、
むしろその逆だ。仲良くなったのだ。
けれどただ単に仲良し暦、ならぬ仲良しこよしになったのなら
変わってしまった、などと憂うようなことは言わない。
じゃあどうしたのか?

 簡単だ、仲良くなりすぎたのだ。
仲良くなりすぎて、それはいつ一線を超えるかという
危険思想にすらなりつつある。
そんな細い糸の上のやじろべえ見たいな兄妹関係。

 阿良々木火憐は、本気でこの僕、
阿良々木暦に恋慕の情を抱いてしまった。
そして阿良々木月火はそれを知ってしまっている。
ちょっと前までは考えられないほどの、
仲良くなってしまったからこその緊迫感。

 このただでさえ複雑な兄と妹の問題は、
さらに怪異をもってしてさらにおかしく破綻する。
ぎりぎりの平衡を保っていたトランプのタワー、
もしくはジェンガや類するなにかのように、
一瞬で、砕け散ったのだ。

 僕に限らず、誰しも自身の家族のことは語りたがらない。
それは僕自身以前口にした言葉だ。
特にこの話はストレートにプライベートな物語、
だけれど敢えて僕はここに全てを語ろうと思う。

 それがなにを招こうとも、
今回のような事態を二度と起こさないために、
僕は僕の、僕達兄妹の恥の全てをここに記そう。
そうすることで、一つのけじめをつけよう。
でなければ、きっと一つも前には進めないだろうから。

 先に申してしまえば、
この話に終わりなどない。
ハッピーエンドもトゥルーエンドもない、
バッドエンドすら欠片も見えない。
ただただあるのは中途半端な解決と曖昧模糊とした解釈、
それだけだ。
この話を終えたところで僕達兄妹の関係を清算することはできなかったし、
きっとこの先何年もかけて大人になってからもぐずぐずと滞るだろう。

 それでいい、兄と妹というのは、
きっと、そういう関係のことだと、僕は思うから。

 さて、前振りが長くなってしまったけれどそろそろ始めようと思う。
僕と妹の、盛大な故意の恋話を。
―――

 目が覚めたら火憐が目の前で寝息を立てていた。
僕は特になにをするわけでもなく、起き上がって大きく伸びをして
火憐を起こさないように布団からはいでる。

 部屋のカーテンを開け、
続けて窓も開けて外気を取り込み部屋の換気を行う。
時期を考えれば狂気の沙汰とも言える行動、
案の定肌を切るような冷たい空気が部屋中に広がり
それを感じ取った火憐が僕の布団でまるくなる。

 こんな感じの目が覚めると美少女が居た、
というのはどうにもライトノベルっぽい、
もしくは青少年の想像を掻き立てる小説っぽい気がするけれど、
なんてことはない、お互い服を着ているし、
そもそもとしてその美少女足る火憐は実の妹だ。

 ……いや、逆にまずいのだろうか?
ううむと首をかしげ布団にうずくまる妹を見下ろす。
以前なら考えられなかった行動、
考えられなかったと言うか、単に妹の居る兄として
普通なら考えてはいけない領域だろうと思う。
こういうのは、あくまでもフィクションの中でしか起きてはいけない、
リアリティのない非現実的な事象の筈だというのに。

「相手が誰だろうと、自分がどんな立場だろうと、
 女の子のそういった純粋な気持ちには真剣に答えなきゃダメだよ阿良々木君?」

 一ヶ月と二週間ほど前、
一匹の狐の所為で起きた事件の後遺症として
僕が受けた一時間以上にも及ぶ説教の締めくくりに、
羽川はそう屹然と言い切った。

 真剣に答える。それは時と場合と感情によっては
次のステップに進むことも止む形無しと言うことなのだろうか?
みたいなことを羽川に言ったら「それとこれとはべつ!」
と、さらに数時間の説教を食らった。
そりゃまぁションボリするしかない話である。

 とか徒然なる思考をだだ漏れにしていると、
ノックも為しに僕の部屋の扉が開いた。
……いや、どうだろう。これは素直に開いたと表現していいものか困る、
扉が物凄い速度で限界まで開いてから壁に激突し、
さらにその反動で再度閉まろうとするほどの勢いで開いたのだ。
もうそれは"開いた"などと生易しい表現ではなく、
なんかぶっ飛んだとでも表現したほうがむしろ近い気がする。
そうしてそんな閉まりかけた扉を抑えて入ってきたのは、
まぁもはや定例とかしつつあるが下の妹の月火だった。

「火憐ちゃんは……、あぁっ! やっぱりこっちにきてる!」
「おはよう月火ちゃん」
「おはようお兄ちゃん。っじゃなくて!
 お兄ちゃんからもダメだって火憐ちゃんに言ってよ!」
「僕が言って止まるなら苦労しないわな」

 月火は僕にも怒りの矛先を向けながら
いまだ僕の布団を抱きしめて惰眠を貪る火憐を叩き起こす作業に入った。
火憐は空手を筆頭とした格闘技系を習うパワフルな妹で、
朝練などの為に早起きは得意だったはずなのだが、
ここ最近は月火が寝た後に今日のように添い寝を仕掛けてくるため
やや起床時間が遅れ気味。
これが実妹でなければ如何程の萌えが湧き出るのかと
僕は度々残念に思うのだ。

「ん~? 朝? おはよう兄ちゃん」
「おはよう火憐ちゃん」
「もうっ、本当に二人とも緊張感がないんだから!
 お父さんとお母さんは下に居るんだよ!?」

 もうとっくにわかっているだろうけれど、
僕がどうかはともかく、火憐は以前の事件以降
本人曰く実はそれ以前から僕に対して
並々ならぬ恋愛感情を抱いている。らしい。
そのためこうして一種の夜這いをかけてきたり、
それを知っている月火が家庭崩壊阻止の為に奔走したりしているのだが。
僕個人の意見としては多分もうバレてるんじゃないかと思う。
なにしろ阻止しようとしている月火自身が、
こんな馬鹿でかい声で堂々と叫んでいるのだから。

 下手するとご近所さん達には周知の事実なんではないだろうかと、
ここのところの登下校時のおばさんたちの視線から推測してみる。

 なんというか、生暖かいのだ。
それでいて少し余所余所しい感じ、
酷く居た堪れない気分になる。

 というか、ちょいと前。
火憐の禁断的感情が露見してからしばらくは
月火が火憐の監視を行って僕への一時的接触を極力減らしていたのに
どうしてここのところはそれがなくなっているのだろうか?

 アンサー、単に月火は同じ兄妹ではあるが
ことこの事態に関しては第三者なのだ。
つまり、付き合いきれなくなった、というのが真相。
とは言っても知ってしまった以上
見てみぬ振りはできないから、と現状ができあがる訳だけれど。

 羽川にはあんなこと言ったし、言われたけど
本気で真剣に火憐とラブコメする訳にはいかないし
かといって無碍にあしらうなんてことはもっとできないし。
宙ぶらりんの状態。
精々その内火憐が諦めて他に好きな人でもまたできれば
僕のことなんてさっぱり忘れてくれるだろうと
そんな希望的観測をする程度だった。

 楽観視、そう言われれば確かにその通りだと言わざるを得ないけれど。
この時点では他に動きようが無かったのも事実。
だから僕は放棄した訳でも逃避した訳でもない、
その点だけはわかって欲しいと懇願するばかりである。

 でも、もし、僕がこの時既に
火憐に対して好悪問わず何かしらの動きを見せていたならば
結果は自ずと変わっていたのだろうと思う。

 わかるはずの無い未来に対して対策を立てなかった事に
いくら悔やんでも意味の無いことなのは承知の上だけれど、
でも、と思わずにはいられない。
僕がさっさと受け入れるなり突き放すなりしていれば、と。

―――

「暦お兄ちゃんはこういうのどう思う?」

 千石がガラスケース越しに指をさして
僕に感想を求めてくる。

「ん? 千石にはそういう派手なのよりこっちの方が千石には似合うんじゃないか?」
「う~ん、そっか。暦お兄ちゃんはこういうのが好きなんだ」
「いや、僕の好みというより千石に似合うと思っただけで……」

 千石はそういって並ぶ指輪に視線を戻してしまう。
僕はというと店員さんの微妙な目線に曖昧な笑みを返して
この空気の中を耐え抜いている。

 いま僕は近所のアクセサリーショップに来ている。
この間千石に買い物に付き合って欲しいと言われたため
兄的存在である僕としては断るわけには行かないだろうと承諾したのだが。
その一番最初に立ち寄ったこの店の指輪コーナーで
千石は蝋で固めたように動かなくなってしまった。

 シルバー製の大量生産の指輪、
そこまで熱心に見るものなのかなあと僕は思うのだけれど
中学生である千石、しかも大人しく装飾品の類をあまりつけない彼女にとっては
こういったものは物珍しいのだろうと一人結論をだしてのんびりと千石の後姿を眺める。

 千石は、あぁじゃないこうじゃないと呟きながら
たまに僕の方を伺いつつ指輪を吟味し続けている。
女の子の買い物は長くなることくらい承知の上だし、
ガハラさんと一緒に買い物にでたときも
妹に付き合ったときもやはり一つの店で一時間程度
平気の平左でかけていたので別段どうこう思いはしないのだけど。

 色々なものを見て楽しげに回るのではなく
思いつめたような表情をして指輪を見つめている千石を眺めていると
どうにも僕としてはなぜか微妙に焦る気分になる、
なぜか店員さんもチラチラと僕を物言いたげに見てくるし。
違うんだ、別に僕と千石は怪しい関係とかじゃくて
単にちょっとしたお買い物をしてるだけで……。

「え~と、千石。なんだったら僕がそれ買ってやろうか?」

 それからさらに待つこと十分。
僕はなんだかよくわからない雰囲気に負けてそう口にしていた。

「え、そんな悪いよ暦お兄ちゃん」
「ほら、でもクリスマスも近いしさ。ちょっと早いプレゼントってことで」

 言って千石が見ていた銀の指輪を一つ手に取る。
板状の指輪、その側面には多分ガラスだろうけれど
いくつもの石で十字が模られている。

 幸い値段も大した金額じゃないし、
臨時収入も最近あったところだ。
僕は千石が眺めていたその指輪をとって
レジへと持っていった。
店員のお姉さんは先程までとは打って変わって
にこやかなスマイルで手早くレジスターに入力を済ませ
手馴れた手つきでその指輪を小さく包装してくれた。
僕はそれを受け取り、店をでようとすると。

「あ、暦お兄ちゃん待って」

 千石は別の指輪を持ってレジに向かっていった。
ん。
なんだ、別にお金がなくて悩んでたって訳じゃないのか?
でもだからって二つ買う必要はないよな、
見たところサイズの違う同じ指輪っぽいし。

 どういうことだろう?
なんて僕が店の入り口付近で漠然と考えていると、
千石は会計を終えて包装されたばかりの指輪をもって
僕に駆け寄ってきた。
まぁ、駆け寄ってきたなんて言っても、
あくまでも千石の駆けるであって、効果音はとてとてって感じ。

「はい、暦お兄ちゃんの分」
「ん? あぁ、ありがとう?」

 なるほど、僕が千石の奴を買ってやったから
そのお返しということなんだろうか?
でもそれだったら普通に自分のお互い買えばよかったんじゃないだろうか。
たまに千石はよくわからないことをするよなあ。
ま、僕は千石の兄みたいなものだし?
そういう行動にも付き合って然るべしと言った所か。

「じゃあこっちは千石のだな」
「うん、ありがとう暦お兄ちゃん」

 しかし、クリスマスを目前にして指輪のプレゼントを交換するなんて
まるで恋人同士の行いみたいだな。
千石にはそんな気は当然欠片もないんだろうことはわかっているけれど、
なんとなく少し照れくさい気分になってしまう。
千石にそんな気はないんだろうけど。

「つけてみたらどうだ?」

 僕がそういうと、早速千石は僕が買った方の指輪を指にはめた。
左手の薬指に。
……えっと? ん、んん?
あー、まぁ、千石は中学生女子だしな
指輪といえば左手の薬指と言う風な印象を持ってるんだろうな。
それが僕がプレゼントしたとか、クリスマスがどうこうというのは
全く関係ないんだろうし、それならば僕はここで口をだすべきじゃないだろう。
いたいけで純粋な少女の夢を壊すわけにはいかないからな。

「大切にするから、この指輪、撫子の宝物にするからね」
「う、うん」

 なんだろう? 時折感じるこの息苦しい感覚は、
冬だしな、喉風邪の前兆かもしれないな。
帰ったら薬でも飲むとしよう。

「暦お兄ちゃんもつけないの?」
「ん、あ、そうだな。うん、つけるよ」

 言って千石に渡された方の指輪を取り出して
どの指につけるか迷っていると。

「左手の薬指がいいと思うな」
「え? い、いやそれは……」
「暦お兄ちゃんは左手の薬指以外に指輪をつけちゃいけないんだよ」
「左手の薬指以外はいけないのか……」

 消去法主義なのは相変わらずなんだな千石。
普段は一体どんな生活を千石は送ってるんだろう?
食事とかでも一々"これじゃないとダメ"と決めておかずとかに箸を向けるのだろうか?
……シュールだな。

「ん?」
「どうしたの暦お兄ちゃん」
「いや、この裏側になにか彫ってあるなあと」

 千石に言われるがままに左手の薬指に指輪を嵌めようとして
初めて気が付いたのだが、表面に模られた十字の裏側、
嵌めてしまえば見えなくなる所に小さく蝶の柄が彫られてあった。

「うん、私それが気に入ったからこの指輪にしたんだよ」
「そうなのか?」
「ほらよく蝶の羽の動きがどこか遠くで大きな嵐になるって言うでしょ?」
「よくかどうかはわからないけど聞くかな」

 バタフライ効果とか、そういうことだろう。
僕も詳しくは知らないけど、多分千石もよくわかってないだろうから
この場合は風が吹いたら桶屋が儲かる的な方向で捉えとこう。

「で、それに倣って私も少しずつでも行動をしていけばいつか手に入れられるかなって」
「ん? 千石はそんなに頑張って手に入れたい物があるのか?」
「うん、あるよ……。すっごく欲しいもの……」

 そういって笑顔で答える千石。
その瞳に、なにやら怪しい光があったような気がしたけれど、
きっと気のせいだろうと思う。

―――

「兄ちゃんお帰りー!」

 帰宅するなり非常にやかましい出迎えの声と共に
火憐が僕に突然抱きついてきた。

 詳しいところは何度聞かれようとぼかすものの、
しかし僕より微妙に身長が高い火憐が
格闘技で鍛え上げた脚力で勢いよく僕に抱きついてきた。
これはもはやラグビーの全身タックルに程近い威力があるわけで、
いくら吸血鬼の残滓残る僕といってもいきなりのそんなアタックに耐えられる筈も無く。

「ぐはっ!?」

 僕は火憐共々玄関でもんどりうって転がる羽目になった。
つーかマジで死ぬかと思ったわ、なにを考えてるんだこの愚妹、
玄関の扉に頭を一度ならずぶつけたぞ。

「遅いぜ遅いぜ遅いぜ兄ちゃん!
 あんまりにも遅いから寂しさのあまり兄ちゃんの温もり求めてベッドでほにゃららを――」
「てめぇ! それ以上言ったらマジで絶縁するぞ!
 月火ちゃんもこいつ引き剥がすの手伝ってくれ!」
「えー、私もうダメになっちゃった火憐ちゃんとも変態なお兄ちゃんとも関わりたくないよ」
「ちくしょう! この場面を見る限り正論っぽい!」

 火憐の顔面を掴んで横にどかす。
本当、お前は大型の犬かってんだ、パワフルにも程があるぞ。

「で、お兄ちゃん。せんちゃんとはどうだったの?」

 どうにかこうにか忠犬というより、
単に人懐っこいだけの馬鹿犬から逃れ起き上がった僕に
月火はあんまり興味ないけど、
仕方ないから聞いてやるといいたげな質問をよこした。

「あー、まぁ、楽しかったよ」

 あの後、やたらテンションの高い千石と二人で
あちこちの店を見てまわった。
お互いお小遣いのみで生活してる身なので、
ほとんどウィンドウショッピング的だったけれど。
普段とは違う露出の少し多目(千石基準)のおしゃれな服装の
千石と二人で出回るというのも悪い気はしないというものだ。
いや、そういえばあぁいうのも家の中ではよく着てるんだっけ? よくわからないなその辺。

 あと、最初の店以外はどこもあんまり時間をかけて
店内を見て回るということをほとんどしなかったな。
もしかしたらあの店は最初から目をつけていたのかも知れない。
実は何度もあの店に下見もしてあって、店の店員さんとも知り合いで
指輪そのものも何度も吟味して選んであったとか。

 ま、千石が買い物に付き合って欲しいと言った時の台詞が
「一人だと行きづらいからついて来て」だったし、
千石に限ってそんな事ありえないだろう。
いけないいけない、まったく自意識過剰になってる気がするな僕は。

 千石がそんなデート前の恋する女の子みたいな行動を、
まさか僕相手にするわけがないか。
駄目だな千石を少しでも疑うような真似をしては、
兄的存在失格じゃないか。

「楽しかった、ね。まぁお兄ちゃんが楽しかったならせんちゃんも楽しめただろうし」

 ま、いいか。と月火はそういって、
居間に戻ってしまった。
多分テレビで芸能ニュースでも流し見してるんだろう。
それよりも、帰ってきて早々問題なのは
もはや言うまでも無いことだろうけれど、
的ではなくもろに実妹の火憐だ。
マジでこいつ最近見境ねえな、
その内僕は妹に逆強姦食らうのではないかと戦々恐々だ。
そういう役割は神原の専売特許だとばかり思っていたのに、
まさかの身内だよ。

「火憐ちゃん、僕はいまからちょいと着替えるから絶対に部屋に入ってくるなよ?」
「えー」
「えー、じゃねえ!」

 なにが悲しくて妹にこんな忠告をしなくてはならないのか。
切ないなあ。

 悪い気はしない。
というのは偽らざる本音だ。
立場上問題あるのはわかっていても、
しかし身贔屓を差し引いても可愛い一人の女の子に
こうもむきだしの行為を向けられるのが嫌な訳が無い。
そういう意味じゃ羽川の忠告は珍しくも的外れだ、
以前こそ仲は良くなく、喧嘩の耐えない悩みの種たる妹であったが。
けれどそれが無くなれば単にあいつは可愛い僕の大切な妹という立場だけが残る。
どうして無為にできようかという話だ。
それに、どういう理由であれ、火憐にキスをしたのは僕だ。
一回目は、確かに仕方なかったという、怪異という理由がありこそすれ、
二回目は完全に僕の意思で火憐をそういう目で見た。

 まぁ、そうして多重的な意味で強く出れないからこそ
火憐はもしかしたらという期待を乗せて僕にぶつかってくるし、
月火は曖昧な僕とネジの飛んだ火憐に呆れきってしまってる訳だが。
どうだろう、僕はこの状況を心の底では歓迎してないか?
口上では拒否してるような、困惑してるような態度を取っているものの、
外では流石にべたべたしてこないことを良いことに
彼女とは別の可愛い年下の女の子と毎日いちゃつける日々を
本当に僕は喜んでいないと断言できるのか?
答えは、考えるまでも無い。
ノーだ。

 僕は、この状況を、多少なりとも好ましく思っている。
それが現実で真実だ。
歪んだ、僕の本音だ。

 悪い気はしない?
そんなオブラートに包みに包んで歪曲させた台詞じゃ足りないだろ?
喜んでいる。嬉しがっている。楽しんでいる。歓迎している。
だってそうだろう? 彼女はいるとはいえ、キスが精々その先はまだ。
柔らかくなりよく笑う様になった戦場ヶ原は確かに魅力的だ。
つまらなくなったなんて感情は一度も湧かないし、
ゆっくり進んでいけばいいと思っている。

 でも。
でも? でも、なんだ?
違うだろ。僕はそんな屑野郎にいつからなった? 成り下った?
そうじゃない、そうじゃないと思っているのに。

 僕は火憐を――――と思っている。

 薄汚い実情。
薄気味悪い内実。
薄ら寒い欲望。

 そんなものが自分の中にある。
そしてそんな感情の所為で、僕は妹を傷つける可能性がある。
いや、きっと、絶対、その内、傷つける。
火憐は、傷ついたなんて思わないかもしれない、
けれど確実に傷つく。
僕の手で、傷をつける。

「兄ちゃんなにしてんだ? って、まだ着替えてねーのかよ
 一体部屋でなにやってたんだ兄ちゃん」
「火憐ちゃん……」

 部屋の扉が開き、隙間から覗くように火憐が顔をひょっこりとだしている。
以前セルフカットを行った髪は半年でまた元通りの長さに戻り、
お決まりのポニーテイルが垂れ下がっている。

「あれから何分経ってると思ってるんだ兄ちゃん
 しかもまだ着替えてねぇとか言ってなにしてんだよ、
 焦らしプレイなのか? そうなのか?」

 お前を神原に紹介したのは本当に間違いだな、
悪い影響を受けすぎだろお前。
その手の話題は完膚なきまでに嫌っていたのに。
戦場ヶ原から神原に受け継がれて次はお前か、
絶対にそういうの自分の後輩に伝授しないでくれ。
数年後とかのこの街の変態率が跳ね上がる。

「あー、ちょっと考え事をしてた」
「考え事? 兄ちゃんが?」

 本気で意外そうな顔をしやがったこの野郎。

「受験生は忙しいんだ、悩み事も多い」
「私も受験生だぞ兄ちゃん」
「お前は付属中学だろ」

 高等部にあがる際に、確かにテストはあるが
クラス編成の参考程度のテスト。落ちることはない。

「いいからでてけ馬鹿。今度こそ着替えるから」
「へいへい」

 蓮っ葉というか、単に適当な言葉遣いで
顔を引っ込めて扉を閉める火憐。

「あー、参ったなマジで。ここんとこかなり深刻だぞ」

 おかしくない?
ちょっと前まで妹萌え? そんなの妹の居ない奴の幻想だろ?
実際居たらそんなのあるわけねーじゃん、
はっ、ヤダヤダ、実の家族にどうこう感情抱くなんて人として終わってるだろ。
まったく持たざるものの気持ちもわからないでもないけど、
お前じゃあいくら可愛くて若くても母親に萌えられるか?
馬鹿らしいなあ。とか言ってたんだよ僕?
ここまでふてぶてしくは無いけど、でもそんなスタンスだったじゃない。
意味わかんねえよ。なにこの心変わり。
トラップ発動した訳? 魔法解除のカードはどこにあるんだよ。

「ん?」

 ふわりと、甘い香りがした。
甘いといっても、微かに、
菜の花のような柔らかい匂い。
僕の部屋にそんな匂いを発するものはないし、
消臭剤や芳香剤の類でもないように思う。
火憐が香水でもつけていたのだろうか?
……火憐が香水。
めちゃくちゃ似合わないというか、
人物と物品とが非常に相反してる。

「でも、他に考えようがないよな……」

 火憐が香水ね。
年頃の女の子なら普通なのかもしれないけど、
月火にチョップを突然思いっきりやっても
凶器を持ち出せんでした並に違和感がある。
香り自体は嫌いじゃない感じだからいいけど。

 なんて考え事をしてるうちにまた乱入されてはたまらない、
僕は手早く適当な部屋着に着替える。
着替える、のだが。

「……、あれ?」

 ちょ、ちょっと待ってほしい。
これは違う、違うんだ。
まさかこんなことになるとはまったく思ってなかった。
いや本当、マジで、て言うか脱いでたわけでもないし
なにか扇情的な格好をしていたわけでもないのに
なんでいきなりこんなことになってるんだ僕。
火憐の顔みて軽く話しただけだぞ?
猛々しいにも程があるだろ、意味わかんねえ。
落ち着け、落ち着くんだ僕。
こんなの見られてみろ一生もんの恥だ、
下手すっと勘当ものだ。
いや、それでも良い方だ、月火に見られたら
なんの躊躇いもなく僕は無残に殺される。

「ふむ、不快な匂いじゃの」

 いつでてきたのか、
僕が自分自身とバトッているのを眺めながら
忍がベッドの上で眉を顰めていた。

 というか出てきて早々嫌な事言うなよ。
それはなんだ僕のベッドのことをいってるのか?
僕は年頃だからそういうことには結構気を使ってるんだぞ。

「違うわ馬鹿者。この部屋に充満しておる匂いじゃ」
「この部屋の匂い?」

 僕にはなにも感じないけど。
もしかして僕が慣れてしまってるだけで
実はこの部屋は異臭がするとか言わないよな?

「言うわけなかろう、そんなことで儂がでてくるわけもなかろう。
 ま、慣れてしまってるという所は正解じゃ、
 匂いが強くなったときには認識できるようじゃがの」
「……どういうことだ?」
「これは香水の様な人工の類ではない、
 そして自然界に存在する香でもないじゃろう」
「だから何が言いたいんだ忍」
「既にお主の中で答えはでているじゃろう?
 お前様の妹御は怪異に憑かれておる、
 いつ頃かは儂にもわからぬの」

 また、なのか。
怪異、知ったものは惹かれやすいなんてもんじゃない、
こんなの悪意と悪気しか感じられない。
むちゃくちゃだ。なんの嫌だらせだ。
鬼、猫、蟹、蝸牛、猿、蛇、蜂に鳥に狐、今度でとうとう二桁だ。
もういいだろ、勘弁してくれよ。

「ふむ、お前様よ」
「なんだよ……」
「悩むのはいいが。とりあえずズボンを穿いたほうがいいのではないかの?」

―――

 まぁ、なにやらてんやわんやありましたけれど。
それはともかく。
ともかくとして!

「火憐ちゃんは本当に怪異に憑かれてるのか?
 それに怪異の王たる吸血鬼のお前がいつからかわからないってのはどういうことだ?
 よくわかんないけど普通じゃありえないから怪異にしとこうとか言う思考回路じゃないだろうな」
「儂はお前様には嘘はつけんし、冗談も言わん」

 嘘はともかく、普段は冗談は言うし
かなりふざけてるじゃんお前。
この間だってポケモンに僕の名前付けて瀕死にさせまくってたしな。
主人公の名前はちゃっかり忍だし、ふざけんなよ本当。

「ごほん! で、じゃ。お主、七つの大罪という言葉に覚えはあるかの?」
「ん、それなら聞いたことあるな。キリスト教だろ?
 人間を罪に導く感情とか何とか羽川に聞いたことがある」

 正確には言われたことがある、だが。
一ヶ月と二週間前に、色々とあった際に。
えっと、確か『傲慢』『嫉妬』『憤怒』『怠惰』『強欲』『暴食』『色欲』の七つだったっけか。

「うむ、そしてその最後の色欲。ぶっちゃければエロい欲求じゃの
 ホムンクルスなら最強の矛じゃ。ま、儂のブレードの方が強いじゃろうがの」

 ハガレンかよ……。
つーかぶっちゃける必要あったのかそれ。
そもそもなんでこのタイミングでそういう方向の話がでるんだ、
僕をやっぱりからかってるだろお前。
けれど忍は僕の内心の疑心を知ってか知らずか平然と続ける。

「儂がわからんかったのは、多分巧妙に存在を消されておったから、
 というより儂には影響がなかったからじゃのお前様を通して間接的にある程度じゃった。
 この怪異はいままでの物とは少々趣が違うらしいの」
「どういうことだ?」
「この怪異は、そうじゃのう。近いのは猿の時、もしくは蟹の時じゃの」
「猿と、蟹?」

 猿の手と、おもし蟹。
その、共通点とは。
なんだったか。

「願いを叶える、望みを果すと言った所じゃの」
「でも、じゃあさっきの七つの大罪はどう関係するんだよ?」
「じゃからの、この怪異はその欲望を助長する類の怪異じゃ。それもそのまま色欲を、の」

「は?」

 厳かな雰囲気を醸しだしていた忍に気圧される形で、
一体どんな恐ろしい奴が今回はでてくるのかと思っていた僕は、
正直言うと肩透かしを食らったような気分だった。
話を聞いただけなら、単にその怪異は火憐をエロくさせるだけの怪異と受け取れたから。
けれど忍は至って真剣に言葉を続ける。

「お前様は自分で言うたろうに、
 七つの大罪はキリスト経の用語じゃ。
 つまり大罪を定めてそれで終わりという筈が無かろう、
 罪を司る大いなる主が共に定められる」
「主……」

 キリストで、罪で、主。
忍が先にあげた近い例は蟹と猿。
猿は、蟹は、本来のその姿はなんだったか。
そこから導き出される答えはなにか。
考えるまでもない。

「アスモデウス、と言う名前じゃったかの。
 アエーシェマを元にアスモダイオス、アシュメダイなんぞとも呼ばれとるようじゃが、
 とにかくこいつが色欲を司る魔王じゃ」

 魔王て、どこぞのRPGかよ。
と僕はその性分から、恐怖とか畏怖とかよりも先に突っ込みたくなる。

「この悪魔自体は結構古く、あとから色欲の主に宛がわれたと言う形らしいがの。
 そこまでは儂にはわからんわ」 
「ってぇことはなにか? 僕の妹は魔王様にとり憑かれた姫様ってか」
「そうなるとお前様は差し詰め勇者、
 儂は勇者に面倒なお使いイベントをやらせてから
 魔王城へ行くためのアイテムを授ける仙人と言った所かの」

 お前、本当変な方向の知識ばっかり収集していくな。
べつにいいけどさ、いいんだけどさ、
なんか、腑に落ちない。
お前自身はいいのかそれでと、問いたい。

「ま、安心せい。妹御の色欲の表れ、
 それが芳香であったじゃろう?」
「そう、なるんだろうな」

 言いたかないが僕の反応を見る限り。
それと忍、火憐の色欲の現れとかやめてくれ。
なんとなく後ろめたい。

「む? さっきのことなら気にするでない、
 あの芳香は色欲の権化そのもの。
 男なら反応しても仕方あるまい」
「いや、そんなフォローはいらねえ!」

 なんで外見八歳の金髪美少女に
男の本能についてのフォローを受けないといけないんだ。
すっげえ惨めっぽいよ僕。

「でじゃ、色欲の悪魔の象徴はサソリじゃからの、
 そしてサソリは針、ないしはその毒を象徴とする。
 サソリには甘い香りを発する器官などないからの、
 精々使い魔程度、悪魔そのものが降臨するような自体ではなかろう」
「そっか、それは良かった」

 まぁ普通そうだよな。
魔王なんて意味わかんねえ、世界を征服するような存在が
ひょうたん島よろしくひょっこりと下界に顔をだされては
僕達平民は挨拶に困って仕方ない。
タイトルも『かれんバタフライ』じゃ無くて『かれんスコーピオン』に変更しないといけない。

「そもそも、いつぞやのように低級悪魔、しかも片腕のみというレベルならともかく
 魔王と呼ばれる固有名付きの悪魔がそのまま精神に憑いたら
 普通の人間ではまず耐えられん。即座に粉々じゃ」
「粉々っ!? なんだよその爆砕点穴!?」

「事実じゃ。お主の様に精神的にも肉体的にも耐性がある人間ならともかく
 怪異を知らず、怪異と関わってこなかった人間が耐えられる筈無かろう。
 それに爆砕点穴は人間には効かんぞ?」
「知ってるよそんなこと!」

 らんま1/2もご存知だった。
どうしよう、忍が僕の影の中で火中天心甘栗拳の練習とかしてたら。
……やべえ、見てみてえ。
ってそんな場合じゃなかったか。

「えっと、いまいち被害がないから深刻になりにくいな」
「被害ならあるじゃろ。さっきの――」
「それはいい! 忘れてくれ!」

 あぁ、しばらくはこのネタを使われるんだろうなあ。
こういう方面に理解がある忍でよかった。
……しかし、恥もなにもないとか言ってても、
まだあるもんだなあ、恥ずかしい物。

「それに、近頃お主が受けている度の過ぎたアプローチ」
「む……、それは、まぁ」
「汎用性に乏しい、色欲という括りの怪異ゆえに
 憑かれてる当人と、その想い人であるお主にしか影響は及ぼさぬが。
 それだけに影響を受けてる人間には重く圧し掛かる。
 お主は吸血鬼の残滓が、あるからまだ抗えているがの、それも時間の問題じゃ。
 自身が自身に違和感を持たない程度にじわじわと強制力を高めて、
 憑いてる人間の欲望を叶える怪異。まったく嫌らしいのう」

 忍は、唾棄するように顔を険しく歪める。
人形のように可愛らしい外見でそんなことをするもんだから、
より一層その凄惨さに拍車がかかる。

「あと、一週間もなんの策も弄せずにおれば、
 お主とあの勝気な妹御はなんの違和感も無く。
 なんの罪悪感もなんの背徳感もなんの嫌悪感もなく、
 道徳的観点も倫理的観点も関係なく。
 自発的に互いを求め合うじゃろうて」
「なっ……」

 そんなことありえないと言おうとして、
先程、忍がでてくる前、さらに火憐が現れるまでに
僕が一人でうじゃうじゃとしていた思考を想起する。
今の段階でも、相当僕は傾いている。
それをなんとか立場とか、倫理とかで押し込めている状態だ。

 けど、そうだ。
一週間前は? 二週間前は?
そんな感情あっただろうか?
受け入れてはいたかも知れないし、
諦めていたかも知れない。
でも、ちょっと前の僕はここまで火憐に傾倒していなかったはずだ。

 なら、一週間後の僕は?
何事も無くいられると思うのか?
いまの話を聞いた上で、いまの感情を加味した上で、
それでも?

「僕は一体どうすればいい? どうしたらそのけった糞悪い悪魔を退治できる?」

 ここで、初めて今回の事件にまともに向き合ったであろう僕に、
忍は口端をあげるだけの笑みを浮かべる。

「退治とな? 元気がいいのう、なにか言い事でもあったのかの?」

 懐かしい。忍野の台詞。
あいつは、決して助けるとは言わなかった、
飄々として適当で、ズボラで不真面目で軽薄なおっさんで。
でも、居なくなった今ですら僕をこうして導いてくれる、
どうしたらいいか、教えてくれる。
僕はそれを助けてもらったと思っている。

 まぶたを閉じて、少しばかり回想をして、
再度僕は忍に問う。

「忍、僕は真面目に聞いてるんだ」
「ふっ、勇壮じゃのう。よかろう、悪魔なんぞ退治しようとしても
 到底できるようなことではないのじゃが。


 しかし対峙することくらいならできるかも知れんの」

―――

 ということで。
ただいま深夜零時過ぎ、
僕は絶賛作戦行動中だった。
具体的になにをしているかと言うと、
自分の部屋、その妹側の壁に沿う形で配置された
四脚型木式寝台に置かれたふかふかのマットレスに横になり、
さらには鳥類より採取した多量の羽が含むことにより
防寒性に優れる、僕の身長よりも大きい布袋を身体に被せる。
そして極めつけには部屋の光源を全て断ち、
壁の方に向かいながら一言も発さずに目を瞑るという
最高難度のミッションだ。

 ……ん?
ちょっと難しすぎるって?
そうだろうな、僕も最初に忍にこの作戦を説明された時は
訳がわからなくて頭が痛くなるほどだった。
では、端的にこの状況を説明させてもらうと、
……狸寝入りである。
自分のベッドで普通に布団に包まりながらの狸寝入りである。

 いや、うん。
言い訳をさせて欲しい。
言い訳と言うか、弁解を、
これは忍の言い出したことなんだから。

「お前様はなにもするでない」

 忍が僕に勿体ぶって耳打ちした言葉はそれだけだった。
まぁ、いくつか物を用意しろとは言われはしたけれど、
本当にそれだけしか、僕がするべきことという項目については言わなかった。
退治する為でなく対峙するためにすべきことは、
それは"なにもするな"。
本来ならなんだそれはと憤慨するべきなのだろうけれど、
しかし忍のその台詞を言ったときの表情が、
如何にも自信ありげで、我に秘策ありと言わんばかりだったから。
僕は黙ってそれを受け入れた。

 ただ黙って、なにもせず、
火憐が。僕の大切な妹に憑いている馬鹿野郎が、
のこのここの部屋にやってくるのを、じっと待っている。

 果たして、その時は意外にも早く来た。
まず、妹達の部屋の扉が静かに開き、
極普通の足取りで廊下を進む足音が聞こえる。
その足音は、直ぐ隣である僕の部屋の前で止まり、
そして無作法に部屋の扉が開かれる。
と、同時に部屋に漂う甘い匂い。
途端に思考が鈍り、変な方向に移行しそうになる。

「兄ちゃん……」

 聞こえてきたのは、か細い火憐の声。
これで姿を確認できないためにあった、
実は月火の気まぐれという線は消えた。
しかしそうか、いままで僕が半ば黙認してた火憐の忍び込み。
だけど神原の件を考えるだけでわかるように悪魔は夜にこそ力を増す、
普段は意識しなければわからない程度だけど
寝てる間に僕は至近距離で何時間もこの香りをモロに嗅いでいたのか。
成る程短い期間で影響を受ける訳だ。

 バタンと扉を閉める音がして、
火憐がこちらにゆっくりと近づいてくる。
甘い匂いはより一層と強くなり、僕は自分の意識を保つのが精一杯になる。
忍、なにかするなら早くしてくれ。

 しかし僕の願い虚しく、
未だ忍は姿を現そうとはしない。

「……」

 真後ろに気配がある。
でも、それはそうと気づいてしまえば明らかにおかしいと言える程に
火憐のそれとは明確な差異があった。
明確で、明白な、違い。迷惑な話だ。

 僕の布団が音も無く剥がされて、
空いてるスペースに火憐が身体を横たえようとする。
おいおい忍さんよ、これ以上はまずいんじゃないの?
僕の視界も意識もぼやけて相当ヤバイんだけど、
もはや戦闘に及ぶのは不可能だ。
ちくしょう、忍に血を吸ってもらえばよかった。

「そこまでじゃ、この小心悪魔」

 僕が本格的にピンチを悟り、
後悔と慙愧の念に駆られようとした時、
まるで空間そのものに張り手をかました様な鋭い忍の声が部屋に響いた。

 そしてその直後に、まるでスパークが起きたかのような
短く甲高い音がして、脳味噌にまで浸透しそうな甘い香りは一瞬で霧散した。

「……っ!?」

 火憐。いや、表層に姿を現した怪異が声にならぬ声をあげる。

「忍!」
「待たせたのうお前様よ。ちぃとばかし火の付きが悪くての、
 これだから生のはいかんのじゃ」

 布団から跳ねるように起き上がると、
部屋の入り口、扉によりかかるように忍が立っていた。
その手に小さな香炉をもって。

「これはお前の主の最も嫌いな匂いじゃろ?
 さっさと失せんか使い魔風情が!」

 香炉を掲げるように、忍は一歩前に歩く。
火憐は、それから逃げるように後ろに一歩。
けれど僕は先んじて火憐の後ろに立ち、
火憐の、怪異の逃げ場を封鎖する。

 火憐を後ろから羽交い絞めにして、
押すように忍に近寄らせる。
じたばたと、本来地力で勝る火憐の身体を使いながらも
しかし怪異は僕から逃れられない。
もう一歩、僕と忍が近寄ると、今度は身動きもできずにただ怯えた目で
ただ一点。香炉を見つめ続けている。

「姿を現すじょ!」

 忍が叫ぶのと同時、
火憐の背中から二枚の羽が広がる。
それは、ファンタジー系の映画やアニメでよく見かける類の
白く大きな神の羽でも、黒く不気味な悪魔の羽でもなく。

 蝶の、羽。
僕はその突然の現象に咄嗟に火憐の身体を拘束していた手を離して
後ろに数歩距離をとる。
すると火憐の身体はゆっくりと力なく地面に倒れて、
まるで蛹が脱皮するかのようにその背中から羽は伸びていく。

「でかい……」

 まるで、僕の部屋を埋め尽くすかのような巨大な蝶の羽。
光源を全て断ったにも関わらず薄らぼんやりと光る羽は、
どこか幻想的で、そして魅惑的で蠱惑的だった。

 蝶。
昆虫綱鱗翅目に分類される21上科、
その中でもアゲハチョウ上科、セセリチョウ上科、シャクガモドキ上科の総称。
目の前のこれは、明らかにサイズが桁違いの規格外だけれど。
怪異に一般的な常識なんて当て嵌まる筈が、
当て嵌めて良い筈がないのはわかっていても、
しかしこんなのが火憐のあの身体に収まっていたのかと思うと
ぞっとしないものがある。

「なにを見とれておるか。
 いまはまだ邪魔者を部屋から追い出した直後のようなもの、
 部屋の扉を閉めて鍵をかけるか、もう来たくないと思わせるか、
 もしくは物理的にもう来られなくさせるかしないといかんのじゃぞ」

 ようやく全てを火憐の身体から出した蝶は、
葉に止まる普遍的なそれと同じように、
細い足を火憐の背中に乗せて羽を畳んで佇んでいる。
確かに、出しただけではしょうがない。
退治できない以上来られなくさせるというのは無理だろう、
常に戻ってくる可能性が残る。
けれど来たくないと思わせるにしても、
前回の狐がそうだったように高度な知能を持たないものに
どうしてそういう感覚や感情を植え付けばいいのかわからない。
そもそもこいつが使い魔だと言うなら、
この蝶に如何様な処置を施したところで大本の悪魔が残っている限り
そんなことに意味はあまりないとすら思える。
じゃあ火憐に二度と入れないように鍵を閉める?
けれどじゃあ一体どうすればいいのかと聞かれても対応に困る。

 などと考えているうちに、
忍はさらに香炉を無表情に蝶に近づける。
火憐の身体から離れた今、
その複眼にどんな色が浮かんでいるのか僕にはわからないけれど。

「いい加減火憐ちゃんからその足をどけやがれ!」

 方法論なんていまはいい。
とりあえずこの怪異から火憐を引き離したかったし、
気絶してるのかなんなのか、
動かない火憐を踏みつけにしている怪異に腹が立って仕方なかった。

 だから僕はがむしゃらにぺらっぺらの蝶の羽を横殴りに叩きつけた。
感触は、無かった。ただ衝撃だけがあった。
振るった腕が羽に触れたと同時に動きを止め、
それに反応する様に羽から空気が澱むほどの甘い香りが広がる。

「なっ!? 馬鹿もん!」

 忍の焦ったような怒声が聞こえるが、
しかし僕の身体は先程の火憐の時よりもさらに強力なその香りにやられ
前のめりにぶっ倒れ返事を返すこともままならない。

 通常、蝶の羽の表面はクチクラと呼ばれる
所謂キューティクルのようなもので覆われている。
これらは体毛の変化した物で、一つ一つが簡単に羽から剥がれる様な構造になっている。
通称は、鱗粉。

 匂いというの物は空中に散布された化学物質を、
鼻腔の奥にある嗅細胞で拾い上げ、脳が変換することで生まれる感覚だ。
鱗粉自体は、前述の通りキューティクルの為匂いなどはないのだが。
けれど、怪異に常識は通じない。
この蝶の鱗粉が甘い香りを発して、媚薬的な効力を発揮する物だとしても、
驚く余地など一欠片程もないのだ。

「くぅっ……」

 でも、わかったところでもう遅い。
すでに僕はしこたま吸い込んでしまった、
意識を失わずに居られるだけでも僥倖なのだろう。
忍に影響がないように見えるのは、
やはり人間基盤の吸血鬼と、怪異の王たる真性の吸血鬼の違いか。

「ったく、手間をかけさせる主殿じゃのう……」

 僕が意識を保ってるのを確認して、
忍は呆れ顔で呟き、蝶を見据える。
動けないのか動かないのかわからない巨大すぎる蝶を。

「蝶など美味くはなさそうなのじゃがのう……」

 呟いて、がぶりと。
羽川の猫の時のように、
蝶の羽の付け根、頭の後ろ辺りに嫌そうに牙を立て、喰らう。
吸血鬼の、食事。

 煌びやかだった羽も、ものの数秒で
しなしなと力無くうな垂れ、萎れていく。
そして一分が立つ頃には、蝶など跡形も無く僕の部屋から消え去っていた。
呆気ない、終わり方。

「うぇ、あー美味くないのう。
 まったくお前様にはミスタードーナツをたっぷり口直しに買ってきてもらわんと
 儂の割に合わんわ」
「……明日にでも、連れて行くよ」

 それでも吸血鬼の回復力の賜物か、
口を開くことぐらいはできるようになった僕は
文字通り苦虫を噛み潰したような表情の忍にそう言う。

「ふん、破産は覚悟しとくがいい。
 それよりも、本題はこれからじゃ」
「施錠、か」

 自由の利かない身体を、
芋虫のようにうねらせて火憐を見やる。
火憐は、なんてことはない、安らかな顔をして眠っていた。

「うむ、使い魔風情を倒したところで、
 一度この娘が呼びよせたのは事実。
 再度別の使い魔がやってくることは明白じゃからな」
「でも、どうすりゃいいんだ?」
「決まっておろう? 魔王に連れ去られた眠り姫に対し勇者はなにをするべきか」

「マジかよ……」
「なにを今更躊躇っておる? すでに二度も奪っておるじゃろうて、
 二度もやったら後はなんかいやろうと同じこと」

 そーれキッス! キッス!
などとまるで合コンみたいなノリでキスを強制する忍。
今回はこいつに丸投げした形だから、非常に感謝してるのだけれど
そんな馬鹿なそこらの大学生みたいな感じになられると
こちらとしても感謝の念はどこへやらだ。

 しかし、まさか忍がただ僕と火憐にキスをさせたいが為に嘘をつくとは思えない。
というか忍は僕に嘘はつけないので、ならばやらない訳にはいかず。
四苦八苦身体を動かして眠る火憐に顔を近づける。
……いや、確かに過去に二回してるけど、
そん時は一応まがりなりにも火憐の了承を得てる訳でして。
寝てる妹の唇を奪うというのは、格別犯罪の匂いがすると僕は思う。
まぁ、するけどさ。

「うわっ、本当にやりおった」

 殺したろか、と軽く本気で思った。

「でさ、やっといてなんだがこれでいいのか?」
「うむ。その、つまりは鍵というのも比喩でしかない訳であって、
 結局は妹御が怪異を必要としなければ良い訳じゃ。
 仕事があるから派遣されて来る訳でじゃからの、
 用無しになったと切ってしまえばそれまでじゃ」

 頭を抑えながら涙目で言う忍。
なにがあったかは語るまい。

「つまりなにか? 要約すると、火憐は僕とキスしたいと思うあまり
 あんなものを呼び込んじまったってことか?」
「それは流石に直訳が過ぎるの。
 キスというのは一つの誓いのようなものじゃからの、
 年頃の娘の恋愛を区切るにはちょうど良いと思っただけじゃ」
「ふうん。しかし無茶苦茶じゃねえか、なんか最近見境なしだな怪異
 色欲だとか大層なモンがでてきたけどよ、
 こんなの誰でも抱く恋愛感情じゃねえか、そんなんで出てくんなっての」
「ふむ、実はお主自身が怪異に憑かれてるのではないかの?
 怪異を呼ぶ怪異とかのう。むしろ神に嫌われとるのかもわからん」
「うわ……、最悪のパターンだけどありそうだな……」

 つーか神って。
『こよみゴッド』とか、やらねえぞ絶対。
意味わかんねえ。

「しっかし、猫に続いて今回のことで蝶も嫌いになりそうだ。
 今までは結構綺麗だと思ってたけど、縮尺間違えるとあんなにグロいんだな」
「あれはビトレアヒメゴマダラじゃのう。
 南アジア、つまりはアスモデウスが語源の悪魔が伝わっておる
 宗教の土地周辺に生息しておる蝶じゃ、日本にはおらんじゃろうから安心せい」
「それは、救われる話だな」
「ま、いまさっきまででかいのが日本のこの部屋にいたがの」
「あー、まぁそうなるのか。写真でも取っておけばよかったかな?」
「知らんわ。じゃが仮にそんなことをあの状況でやっておったら、
 蝶よりも先にお主に噛み付いておるわ」
「だろうな。ところで忍」
「なんじゃ?」
「そのなんとかマダラが火憐から飛び出すときさ、
 お前、『姿を現すじょ!』とか言ったろ?
 なんだよあれ、ぶっちゃけ笑いを抑えるの大変だったんだからな」
「あー、あれか」


「噛んだ」

―――

 後日談というか、今回のオチ。
翌日、いつものようにというにはやや間が空きすぎてる感はあるものの、
二人の妹、火憐と月火に叩き起こされた。

 どうやら火憐は怪異に憑かれてる間の
明らかに過剰で熱烈過ぎる行動の事も
自分の行った行為として記憶しているようで、
正気に戻ったというか補正が外れた今はそれを恥じているのかなんなのか、
少しだけ火憐は僕と距離を置くようになった。
それは距離を置いたと言うよりも、
距離を怪異に憑かれる少し前に戻したという感じだけれど。
でも、おかげで月火との間にもあった微妙なギクシャク感も無くなり、
晴れて僕達兄妹は、本当の意味で仲の良い兄妹としてやっている。

 まぁ、火憐からのラブアタックが皆無になったわけではないから、
その辺はまだまだ時間をかけて解決するしかないけれど。
それでも、誰に憚る事も無く、
極普通に馬鹿な話をして盛り上がって、
くだらないことで言い合いして、
そしていつの間にか仲直りしていて。
そんな当たり前に、帰依できたのだ。

 怪異を呼ぶ怪異に憑かれてるのではないか、と。
そう忍は言った。
知った人間はより惹かれ易くなる、
そんな言葉では納得できないほどに僕の周りには怪異に満ちている。

 そこらじゅうでなんかしらの怪異が、
なんかしらの事象を、現象を、起こし続けている。
けれど、それはきっと僕の運命だ。
宿命で、本命なのだろう。ならば僕は、背負う。
見てみぬ振りができない、不器用な生き方しかできない僕だけれど。
それでも、それで誰かが救えるなら。
僕は器用じゃなくて良い。
賢い生き方なんて糞喰らえだ。

 毎日のように頭を痛めて、頭を悩ませて、
時には身体も痛めて、危険を孕ませてでも。
それでも僕は怪異と向き合っていく。
僕の身の回りの人達を守りたいから。
傲慢かもしれない、
僕が守れるだなんておこがましいかも知れない。
それでも。守りたいものがあるのは幸せだと、言いきれるから。

 さて、ではそろそろ僕は終わらなくてはならない。

鬼に始まり蝶に終わったこの僕の無様で不様な自分語りに終わりを告げなくてはならない。

冗長で稚拙なこのお話に、仮初のピリオドを打たなくてはいけない。

他人に語ることで自分を追い込んで、ようやく立っていられた薄くて弱い僕とはさようならだ。

僕達は生きてるから、この先も、きっとこれまでよりも色々あるだろうけれど、

でも、それもなんとかなると信じている。



 その先に、きっと終わりなんてない。
 解決も解釈も解明も無い。


 あるのはただ、延々と続く"物語"だけ。
では、皆様御機嫌よう。
ばいばい。ありがとう。お疲れ様。


 PS.

 この口上を終えた後、僕は愛すべき妹達に全てを告白をしようと思う。
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最高に面白かった

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ありがとうございます
そういう感想は本当に励みになります


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