橘「マスターいつもの」キョン「はい」

 カランと扉の上部についた来客を知らせるベルが涼やかな音を鳴らし、
私は久方ぶりに聞くその音を受けながら店内に足を進める。

「マスターいつもの」
「はい」

 カウンターに座って私が注文すると、
すでにマスターは私の顔を見て用意していたかのように
素早くいつものカクテルを私の前に差し出す。

 店内にはどこかで聞いたことがある、
しかし曲名がでてこないようなそんなクラシックが
邪魔にならない程度の音量で静かに流れている。
私はカクテルを少し眺めて、少し口に含む。
甘い、爽やかなアルコールの味がした。

 私の他に客は二人だけ。
小さい店というのを除いても、相変わらず少ないお客に
人知れず微苦笑が浮かぶ。

 そしてその二人のお客も、
大して間を置かずに代金を置いて
カランと小さなベルの音と共に店をでていってしまった。
残ったのは、私とマスターだけ。

「相変わらずね」

 二人だけになり、クスクスと私は笑いながら
あまり似合ってるとは思えないバーテンダーの服装をした
客と常連以上に古い付き合いのマスターに話しかける。

「それは店がか? それとも俺がか?」
「両方、かな」
「ま、そうだな。どっちも確かに相変わらずだ」

 ポーズでしていたグラス磨きの手を休めて、
彼はカウンターの向こうにある椅子に腰掛け
客用のそれより小さなグラスに度数の低いお酒を注ぐ。

「だが、お前も久しぶりのわりに変わった様には見えんぞ」
「そうかしら? でもこの間鏡を見たら白髪があったのよ」
「そんなもん、俺だってとっくだ」

 笑って、一口グラスに口を付ける彼。
私もそれにつられて半分まで減ったカクテルを飲み干す。
彼はそんな私を見てまた少し笑って、立ち上がり扉に向かう。

「今日は久しぶりだし、たまには語り合うか橘」
「それはいいですけど、でも少ないお客さん逃がしていいの? キョンさん」
「ま、大丈夫だろ」

 そういって、彼は扉のノブにぶら下がる表札を裏返した。

―――

「結婚、とかしないんですか?」

 新しく作ってもらったXYZを飲みながら私は問う。
いつまでも、指輪のつかない互いの左手の薬指。
二十歳も半ば以上過ぎ、
同級生だった友人で結婚してる人も少なくは無い。
私はいわゆるOLって奴で毎日お仕事だし、
彼は彼でこんな所でこんなことをしている。
あまり、出会いと縁があるとは言い難い。

「考えてない訳じゃないがな」
「相手がいないってのはなし」
「……あー」
「佐々木さんも涼宮さんもいたでしょう?」

 彼は言われて目を逸らす。
わかりやすい反応に私は嘆息をつく。
高校時代、中学時代から想いを募らせていた彼女達は、
しかし無残に散り、佐々木さんは別の男性と結婚して
涼宮さんは確かいまは自分の会社で仕事一筋のような形で過ごしてる。
二人とも、魅力的過ぎる女性だったろうに。

「否定は、しないさ。ただ俺は友達以上としては見れなかった
 それだけ、なんだよな……きっと」
「それだけ、なのよね。あなたにとっては」

 ただそれだけが、しかし圧倒的な壁だった。
本当に悲しいけど、それだけの話。
その二人だけじゃなくて、他にもチャンスはあっただろう。
全てが素敵で耽美で知的な女性ではないだろうけど、
でもその中の一人も彼を虜にできなかったというのなら、
それは哀しくて悲しいようにしか思えない。

「お前だって、人のこと言えないだろう」
「私は、青春時代は組織でお仕事だったし。
 社会人になってからは、そんな余裕……ないわよ」
「余裕、ね」
 
 くいっとグラスを傾ける彼。
度数の低いといっても、立派にウイスキー。
バーテンダーという立場の所為かお陰か、
ずいぶんとお酒には強くなったみたいで。

 小さくて、確かに客は少ないけれど
でも私だけじゃなくて、他にも昔馴染みの友達も来てるみたいだし。
個人的には、自分の店に友人が集まって騒げるというのは
すごく素晴らしいことだと思うのだけど。

「それに関しては同意だな。
 谷口や国木田も先週来たし、古泉も先月だかに顔を見せに来た」
「ちょっと連絡取ればここで同窓会ができそうね」
「ま、会いたくても会えない人間もいるけどな」
「……もっと未来で、きっと会えるわ」
「だといいな」

 彼の先輩であった未来人の朝比奈さん、
私の同輩であった同じく未来人の藤原君、
その二人は自分達の生きる時代に戻ってしまった。
どんな気分なんだろうか、他の友人達はこうして関係を続ける中で
自分だけがどこか遠くへ行くというのは、
疎外感とか孤独感とか虚無感とか。
小さい頃、親の都合で転校したことを思い出す。

「まぁいまは博士課程進んでるあのハカセ君に期待するしかないな」
「あぁ、あなたが亀を川に放り投げたという……」
「曲解だ」

 等々、アルコールが少しずつまわり
顔が少し熱くなってきた私と彼は
しばらく二人だけで会話を続け、時折笑っていた。
そのちょっとした感覚が心地よく、
ゆえにどこか物悲しかった。

「好きです」

 と、先程の会話の流れで言えたなら楽だった。

「私とかどう?」

 なんて冗談交じりに言えそうだったのに。
アルコールの酩酊感なんてのは、
べつに勇気の代わりにはなってくれない。

―――

「おっと、もうこんな時間か」
「え? うわっ、嘘よね?」

 言われて見てみれば、壁にかかっている洒落た時計は
日付が変わって既に一時間の経過を伝える。
別に明日は休みだから慌てる必要は無いのだけど、
しかし予想外に俊足だった時間に私は驚いた。
気づけば結構お酒も飲んだ気がする。

「じゃあそろそろ帰らなきゃ……。えっと、いくら位?」

 椅子から立ち上がりマスターである彼に聞いてみる。
足元が軽くふら付いたが、この時期のこの時間帯は風が酷く冷たい、
外にでて深呼吸すればずいぶんと頭もすっきりするだろう。
そんなことを考えながら財布を取り出すと、
彼は少しあごに手をやり逡巡してから。

「いや、今日はいいよ。俺の奢りだ」

 そう豪気なことを言い放った。

「こんなに飲んじゃったし、店も閉めさせちゃったのに悪いと思うんだけど……」

 私が座っていた椅子、
そのカウンターには空になったグラスがざっと両手で足りない位ある。
それに彼はこの後片付けなども一人でしなくてはならないのだし
色々とこのまま帰るのは後味が悪い気がする。

 という感じのことを口にしてみると
彼は「は、お前がそんなん気にするとはな」と
ちょっと小馬鹿にしたように言って見せた。

「どういう意味かしらね」
「べつに。ただ、変わってないようで、やっぱり変わってるんだなって思ってさ」
「……それはそうよ。変わったようで変わってなくて、
 変わってないようで、変わっていて。ぐちゃぐちゃになってくのが、人だから」
「ないまぜだぁな」

 すいっとまるで素面みたいに歩いて
使ったグラスたちを流しに手早く運んでいく彼。
どうしようか、手伝おうか? とか思ってるうちに全部片されて、
私は間抜けに立ち呆ける形になってしまった。

「また、来いよ。近いうちにさ、ちょいちょい顔をだせ。それでいいから」
「え?」
「つまんないんだよ、お前来ないと」

 水道から流れる水の音が、どこか心地よい。
カチャカチャと、食器の触れ合う高い音が、少し楽しい。

「なんかさ、よくわかんないけど、
 寂しい……、のかな? まったく三十路も近い男が情けない話だが、
 でも、お前が今日久しぶりに来て、すげぇ楽しかったし、
 お前がどうこう思う必要はないから。だから、また来いよ」

 食器の相手をして、こっちに顔を向けないで、
彼はそう照れ隠しなのかぶっきらぼうな調子で言葉を落とす。
それを受けて、私が一体どんな表情をしてるのか、
だから彼はずっと知らないままで、私もわからないままで。

「そう……する、ね」
「あぁ。頼むわ」

 アルコールの所為とは違う理由の熱さが、
私の顔全体を覆うのを感じて私は一人笑い彼に背を向ける。
大人になって履くようになったヒールの音を小さく立てて、
私はカランと言う音と共に店をでた。

「……はぁ、さむっ」

 言葉と共にでた吐息は、
軽く白く凍って、風とともに流れて消えた。
冬が、もう近い。

「ちょ、ちょっと待て橘!」

 雲が流れて、月が見え隠れして。
さぁて、行こうと思った矢先に、彼に呼び止められた。

「これ、着て行けよ。その格好じゃいくらなんでも寒いだろ」

 彼は腕に持っていた薄手のコートを私によこした。
茶色い、長い間使っているのであろうコートを。

「いいの?」
「あぁ、ちょっとボロいかもしらんが、我慢してくれよ。
 まだ冬本番じゃないからそれで間に合うだろ?」
「……うん、ありがとうキョンさん」
「気にすんな。じゃ、俺は片付けの続きあるから」
「ん、ばいばい」

 そういってまた店に戻ってしまう彼。
私は受け取ったコートに腕を通して、
少し丈が長く余ってしまった袖を握りながら。
今度こそ帰路に着いた。

 もう、寒くは無かった。

―――
 
 カランと扉の上部についた来客を知らせるベルが涼やかな音を鳴らし、
私はその音を受けながら店内に足を進める。
店内にはどこかで聞いたことがある、
しかし曲名がでてこないようなそんなクラシックが
邪魔にならない程度の音量で静かに流れている。

 一枚のコートを、羽織ることなく腕にかけていた私は
カウンター席の一つに腰を下ろす。
マスターは、黙ってグラスを磨いていた手をとめて
扉にかかる表札を裏返して、戻ってきた。

 カウンターの向こう、一つの椅子に腰掛けて
静かに微笑むマスターに私も微笑を返す。

「マスターいつもの」
「はい」

 座ったマスターのすぐ手元に置かれたお酒、
それらはシェイカーに入れられ、振られ、そしてグラスに注がれる。

 私はそのカクテルを少し眺めて、口を付ける。
甘い、爽やかないつもの味がした。

―――

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Comment

甘甘な分けでもなく爛れている訳でもなく
かといってさばさばしているわけでもなくそこにいるのが当たり前って訳でもない
この付かず離れずな距離感がいいなぁ
この後も急な展開があるわけでもなく気が付いたらって感じなんだろうなぁ

よかった

よい作品をありがとう
橘のSS少ないから嬉しい
もっと書いてほしい

Re: タイトルなし

がんばるよ!


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