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『つきひピッグ』

01.

 阿良々木月火は、阿良々木暦にとって大事な妹であると同時に
僕の中で最も身近で、最も恐怖する対象である。
それは戦場ヶ原の性格が穏やかになる以前から変わらない、
いやそれどころか、彼女と出会う前から、月火が物心ついた頃から、
ずっと何年も変っていない一つの固定観念みたいな物だ。

 実際僕は月火に千枚通しで風穴を開けられそうになったり、
包丁でナマス切りにされそうになったり、
五寸釘を体内に幾つも埋め込まれそうになったりと
その過去の事例を挙げるに暇が無く、切りが無く、事欠かない。
僕は日常生活を送る中でなにに気をつけると言ったら、
第一にここであると言って過言で無いほどに
阿良々木暦の下の妹、阿良々木月火は親愛の対象であると同時に恐怖の対象だった。

 ただ、勘違いはして欲しくない。
上記のような経歴を見てからではやや遅いかも知れないが、
しかし阿良々木月火が単なる暴力魔やそれに類する何かであるような
そういった誤解はして欲しくない。
僕の下の妹は、思うに不器用なのだ。
感情を表現することが、人と触れ合うことが、
そしてなによりも生きることそのものに対して、不器用なのだ。

 不器用だから。器用じゃないから。
細かいことが苦手で、迂遠な物は不得手で、
だからどこまでも真っ直ぐで、実直で、そして素直。
自分の感情を隠したり、誤魔化したりできず、
遠回りに伝えることなんてどうにも難しい。

 僕と月火は仲が良くない、むしろ悪いと言って問題ではないが。
けれど兄弟だ。アリバイが成立しないほどに、近しい。
だからこんな甘い評価を下すのだ、と思われるかもしれない、
なにを戯言をと一笑に伏されるかもしれない。
実際、月火がなにか問題を起こしてフォローをする僕に、
大抵の大人はそういって欠片も僕が言う月火像に関心を持たなかった。

 兄の欲目、想う故の盲目。
好きに言うが良い。
どうぞ御自由にだ、妹の名誉のために汚名を受ける。
兄としてそれこそが最高の名誉じゃないか、
諸手を挙げて受け入れてやろう。

 けれど僕は、それでも言い続けよう。
声高に叫び続けよう。
阿良々木月火はどこまでも不器用で、真っ直ぐで、だからこそ美しいのだと。
限りなく純粋な少女なだけなのだと。


 無論、美しいだけで正しいわけじゃない。
美しくあっても正しくは無い、多数の人に、理解されない行動原理。
どこかしら歪で、どこかしこと不安定。
真っ直ぐで、歪。それはやっぱり、どうしようもなく怖い物なのだと想う。

 まるで、いつかの僕のように。
周りのもの全てを傷つけるのではないかと、思ってしまう。
きっと月火は否定するだろう、
自分が僕に似ているだなんてそんな事実を全て否定しつくすだろう。
けれど、月火。お前は妹で、僕は兄なんだから。
きっと似ていて当然なんだ。

 だから、結果も、きっと似てしまう。

 どうしたって、僕達は兄妹なんだから。

 02.

 放課後の教室。
クラスメートの女の子と二人きり。
窓の外は橙に染まり始める空が広がり、
時折吹奏楽部の練習する音や、運動部のかけ声が聞こえる。

 と、現在の状況を軽く挙げていけば
成る程まるで青春真っ只中、
たとえ教室に居る理由がストレートに手紙で呼び出されたりした訳じゃなくても
甘酸っぱい匂いの一つでもしても良いと思う。
思うのだけれど。

「はい、残り十分だよ~?」

 ストップウォッチ片手に時間の残高を告げる羽川。
それを受けて僕はまだ手付かずのまま残る設問に取り掛かる。

 僕が現在放課後の教室で取り組んでいるのは、
学校行事の出し物や女の子との青春ではなく
羽川先生作の実力テストだった。
制限時間まで律儀に設けられ、普段の中間試験などより
よほど難しい問題が連なる問題用紙と向き合い
答えを自分の大学ノートに順番に書き出している。

 羽川が僕の為に作り、そしてその本人の前で解く。
いまやっているのは比較的得意な数学なのだが、
それでもそのプレッシャーにケアレスミスを多発させ
予想外に時間が削り取られる。
正直、これで無様な点数を取ったらと思うと気が気でない。
この所の羽川さんはとても怖いのだ。

「ていっ」
「いたっ! えぇ、なに? なんで僕いま消しゴムぶつけられたんだ?」
「不穏な思考を感知しました」

 そんな無茶な……。
羽川さんお茶目にも程があるぞ、
もう迷走しすぎだよ。いめちぇん以降若干キャラが不安定だ、
きっちり固めていただきたい。なるべく早急に。

「はいはい、考えるのは問題の事だけにしてね阿良々木君」

 と言う台詞と同時に突きつけられる
ストップウォッチに表示された五分を切った数字。
僕はちょっとだけ心にあった不満を雲散霧消させて
残り二問を慌ててノートに書き、解くのだった。

「ん~……」

 ギリギリで全問題の答えを書き終え
羽川にノートを提出すると、早速羽川は赤いマッキーで
なにを見ることも無く僕の答えの採点を取り始めた。

 羽川が作った問題だから当然一般の問題集の様に
答えが全て載っている紙などありはしないのだけれど、
それでもなにも見ずに淀みなく採点をしていく羽川を見ると
やはりなんとも言えない気分になる。

「ん? う、うぅん?」

 しかし先程から赤ペンをノート走らせる度に
首を傾げたり唸ったりとピンポイントに不安になる様なアクションばかりを起こす。
……手応え、結構合ったんだけど、
まさかそんなに酷い点数なのだろうか?
や、やべぇ。見捨てられたらどうしよう。


 とかなんとか、先程僕が妄想していた
青春のどきどきとは懸け離れたドキドキを感じている間に
あっさりと採点は終了したようで。

「うん、お終い」

 答えを書いたノートをパタンと両手で閉じて
羽川は笑顔でそう言った。
おしまいってなにが? 僕の進学の道がか?

「違うよ。むしろ逆かな?」
「逆?」
「よくできましたって所かな、花丸を阿良々木君にあげちゃおう」

 採点に使用したマッキーでノートの表紙にくるくると
綺麗な花丸を咲かせる羽川。
なんか小学生の頃少しやってた自宅学習系の赤ペン先生を思い出した。

「いやぁ、思わせぶりな態度取るからてっきりもうダメかと思ったよ」

 安堵すると同時に脱力して
座っていた椅子に凭れながら言う僕。

「ちゃんと自分に自身持たなくちゃダメだよ?
 阿良々木君は自分が思ってるよりできてるんだから」
「そうだと良いんだけどね」
「もう、ちゃんと自分でも確認しなさい」

 いままでの緊張の反動で全身を弛緩させ
適当に相槌を打つ僕に羽川は軽く頬を膨らませて
花丸で装飾されたノートを返却してきた。
それを受け取り、先程まで僕が集中して見詰め合っていた
ページを開いてみれば、八割がたの答えは赤い丸で囲まれていた。

「まるで僕、できる奴みたいだな」

 沢山の丸、ページを捲ると同じく沢山の丸。
多分、中学の頃でもここまで丸の出番が多いテストは
早々なかったように思う。

「みたいじゃないんだってば」
「そういわれても、急には実感沸かないしな……」

 パタンと再びノートを閉じて机にしまう。

「ふぅん」
「なんだよ、含みありげだな」
「いや、ちょっと気になったんだけどね」
「うん?」
「阿良々木君、どうしてこんなに勉強できるのにいままでしなかったの?」

 「……あ~」

 突然の質問に言葉が詰まる。
――勿論、僕は今まで勉強をしてこなかった訳じゃない、
入学当初は頑張って勉強をしていた時期だってあった。
ただそれでもついていけなくなって落ちて、零れたのだ。
できるのにやってこなかった訳じゃなく、
できないからやれなかっただけなのだから。
きっとそれは羽川にはわからない。

「どうして、だったかな……」

 でもそれを嫌味にならない様に伝えるのは難しいから、
僕は適当にお茶を濁した。

「入学した頃はまだ真面目だったと思うんだけどな、
 上の妹が同時に中学に上がって色々あったからかな」

 妹の所為にしてみた。
でもまぁ、嘘も言ってない。
あの頃から段々エスカレートしていったんだよなあいつ等、
その度に部外者の僕が一番疲れてた。

「そっか、そうだね。うん、家族は大事にしなくちゃいけないもんね」
「そういう事だ。勉強したかったけどさ、うん。家族はそれより優先する物だからな」
「やっぱり阿良々木君は妹さん想いだね」
「それは違うと思うけど」
「素直じゃない」
「僕はこの上なく素直だ」
「ふぅん」

 一ミリも信じてない様子の羽川。

「というか家族で思い出したんだけどさ」
「なにかな?」
「昔に社会かなにかの教科書でサザエさんか何か載ってなかったっけ」

 確か家族構成の説明で、ちびまる子ちゃんだったっけかな。

「え? あ、うん。あったねそういうの」

 突然の話題変更に羽川は少しばかり困惑して見せたが、
すぐにいつもの表情に戻って僕の言葉を肯定した。

「親等とかの説明にでてきたりね」
「そう、それそれ」

 大家族みたいなのでサザエさんとかでて、
確か核家族の説明には野原一家が居たりした覚えもある。

「でもさ、あれ。確かにわかりやすいけど、僕あまり好きじゃなかったんだよな」
「なんで? あぁいう遊び心みたいなの私は好きだよ?
 ただの『祖母』とか『息子』見たいに関係だけを並べたのよりはよっぽど良いと思うけど」
「いや、僕もやり方自体が嫌いなんじゃない。
 サザエさんが嫌いなんだよ、ぶっちゃけると」
「サザエさんが嫌いって……珍しいね。なんで?」

「サザエさんのオープニングあるだろ?」
「うん。お魚くわえたドラ猫って奴でしょ」
「それが嫌いなんだよ」
「えっ、どうして?」
「魚持ってかれてさ、取り返した所でその魚はもう食えない訳だ、
 だから諦めるか、もう盗られないようにするしかないじゃん?
 なのに追いかけるって、もう盗られた腹いせに猫を痛めつけようって
 そういう意思しか感じられないんだよね僕は」

 子供心にそんな感情を抱いてしまって、
それ以降どうにもサザエさんにそんな先入観を持っている。
単に歌なのだからそんなに気にする必要などないのだけれど、
子供の頃に抱いた感情というのはどうにも消しにくいのだ。

「阿良々木君は相変わらず歪んでるね」
「正面から言われたら返す言葉がないな……」
「子供向けのアニメにそんな歪んだ感情を向けちゃダメだよ」
「と、言われてもな。子供の感性ってそんなモンだろ」

 理屈も、道理も、関係ない。
ただただ思うが侭、感じるが侭。
そんなものは操作できる訳が無い。

「まったく……」

 悪戯をした園児に呆れる保母さんみたいな羽川。
“しょうがないなぁ”みたいな、そんな雰囲気。
こういう時の羽川が、僕は結構好きだったりする。

「しかしアレだよな。サザエさんじゃなくてもさ、
 子供向けのアニメってのはやっぱり家族団欒の場面が多いよな」

 さっき挙げたちびまる子ちゃんやクレヨンしんちゃんとか、
子供向けなんだから当たり前だけれど。
そこには温かみがあって、みんな和気藹々としている家族の風景がある。

「そうだね、喧嘩する場面があったりもするけど
 基本的にはみんな仲良しで、想いあってて、阿良々木君と妹さん達みたいだね」
「だからそこで僕の家族を出すなよな」
「はいはい、阿良々木君と火憐ちゃん月火ちゃんはとっっても仲が悪いんだもんね~、
 毎日ちゅーする位仲悪いんだものね~」
「うぐっ……」

 ニヤニヤと意地悪げな笑みを浮かべて痛いところを付く羽川。
既に羽川には色々家庭の事も知られてるからなぁ、
もう僕がなにをどう言っても羽川の中での僕等兄妹の見方を覆す事は不可能っぽい。
――まぁ、無理があるよな。
ついこの間妹達とドロドロしたばかりだしなぁ……。

「本当、羨ましいよね……」
「え?」
「ううん、なんでもない。それより阿良々木君。
 家族、大事にしなくちゃダメだよ?」
「……あぁ、わかってる」


 03.

 カラカラと自転車のタイヤがゆっくりと回る音を聞きながら、
僕は太陽がすっかり沈んで冷えてきた空気の中を一人帰路に着いていた。
羽川はあの後委員長らしく戸締りをして、鍵を職員室に返すと言って
途中で別れた。多分、今頃は僕と反対の方向へ歩いて帰っているのだろう。

「……家族を大事にしなさい、ね」
 ダイジ       オオゴト
 大事に、っつーか大事だよな。
あの二人と普通に接し続けるっていうのは。

「あー、羽川にはあんなこと言われたけど。ぶっちゃけまだ帰りたくねえ……」

 家について玄関を開けると同時にやってくる火憐の殺人タックル。
以前の事件以来完全に日課になってるんだよなアレ……。
避けたら玄関が吹き飛びそうだから受け止める、
というか代わりに僕が吹き飛ぶしかない。



 自転車があるのにわざわざ押して自前の足で帰っているのも、
自宅に到着する時間を少しでも遅らせたいという意思の表れでもあったりする。
そんなことしてもいずれは家につくし、
むしろ遅れれば遅れるほど火憐のタックルは
その“待て”と命じられていた分だけ威力を増す。
幾らでも溜められるスマッシュ技みてーだ。

「でも、月火ちゃんがなぁ……」

 そう、火憐のタックルだけで帰宅時のイベントが全て消化できるなら
さっさと帰った方が楽だしあっさり済むのだ。
元々火憐も僕に攻撃目的でタックルしてる訳じゃなく、
スキンシップが僕にとってそのまま攻撃になっているだけなのだから。

 だから実際の問題はその後、
火憐のタックルを受けた僕にやってくるもう一つの日課の方だ。

 

 火憐と違ってそっちは明確な攻撃的意思を持って行動してる、
以前なんか僕の眼前十数センチという位置でヘアスプレーとライターを使った
簡易火炎放射器をなんの躊躇もなくかましてきた。
幸い月火の腕が噴射口に近すぎた為、僕の顔面が焼かれる前に
月火が熱さに負けて手を離したから大した事にはならなかったけれど、
一歩間違えば大変な事になっていた。

 妹達には、告白すると言っておいて
まだ自分の抱える問題について結局教えていないのだから。
こんな形で知られるのだけは避けなければならない。

「あ~、帰りたくねえ……」

 そんな感じで、
妹との間にある不和やわだかまり。
そして僕の抱える色々とかが重なって、
ここ最近、僕が自宅に帰る時間はどんどん遅くなっている。
季節柄あっという間に日が沈むので余計に遅く感じるし。

 いや、うん、建前って訳でもないが、
今回に限って妹達の事は正直言えば度外視している。
それよりも僕が考えていたのは別のことだ。

 ――本音を言うと羽川の事。
『家族は、大事にしなくちゃダメだよ』なんて台詞を羽川に言わせてしまった事、
それを僕はずっと悔やんでいた。
話の流れとはいえ、羽川と家族の事について話をするのは
最大にやっちゃいけない事だろう。
こんな風に、僕が悔やんだりする事すら羽川は嫌がるかも知れない。
でも、やってしまった、なんて風に想ってしまう。

 そしてそんな話をした後に帰ったら、
きっと僕は思ってしまう。
「幸せだ」って。

「あら、おやらぎさん」

 だからだろうか、
そんなマイナスの事ばっかり考えている僕の目の前に八九寺が現れたのは。


 僕の正面、というか僕が押している自転車の正面という
危ない位置に立って声をかけてきた八九寺。
僕がもう少し深く考え事に耽っていたら自分が轢かれていたという可能性を
八九寺は考えたりしないのだろうか。
うぅむ。……ま、とりあえず。

「あら、って導入はなんか井戸端会議してるおばさんみたいだぞ、
 っつーか入れ替えとはまた少し懐かしい手法だし
 少しばかり過去を振り返って見たい気分に駆られたけど、
 それでも一応言わせて貰うと僕の名前は阿良々木だ八九寺」
「失礼、噛みました」
「違うわざとだ……」
「甘噛みました!」
「いてぇ! 全然甘噛みじゃねぇ! 思い切り歯が食い込んでるから!」
「尼が見ました?」
「知るか! 噛み付きながら喋るという高度なテクを披露する前に
 僕の腕から離れろ八九寺! 仕舞いにゃ手をだすぞ!」
「と、とうとう阿良々木さんの口からロリコンの証拠的発言が!」
「そっちの手をだすじゃねえよ馬鹿! 暴力に訴えると言っているんだ!」
「暴力を行った人間こそが訴えられるべきです!」
「ごもっともだーー! ってかわかってるなら噛み付くという最も邪悪な暴力を中断しろってんだ!」
「がぶがぶがぶがぶ!」
「うぎゃー!」

 道の真ん中で小学生女子に噛み付かれて
本気で絶叫する男子高校生こと僕。
……もう遠回りな言い方はしないことにした、
どうせ全部僕なんだろ? はいはい、いーよもうそれで。

「良いも悪いも、実際阿良々木さんですからね全て」
「うるせえよ」

 僕は先程まで噛み付かれて、八九寺の唾液にまみれた腕を擦りながら答える。
八九寺も僕に殴られた頭を擦っているのでお相子だろう。
……多分。

「というか阿良々木さんは小学生相手に手加減なさすぎです。痛いです」
「僕はきっとその倍は痛かった」

 あの後、しばらくは八九寺の甘噛み(?)に耐えていたものの
八九寺に噛み付かれるという行為は若干のトラウマがあるので
結局本当に拳に訴えてその悪属性のかみつく攻撃を中断させたのだが、
その殴った際に頭の真上から拳を降ろすというやり方をしたので
勢いで思い切り歯が突き刺さったのだ。
うん、超痛かった。


「ったく、でてきて早々無茶苦茶だなお前」

 言いながら八九寺とのやり取りの最中にぶっ倒れた
自転車を引き起こす。……カゴが歪んでるぞおい。

「いきなり抱きついたり脱がそうとしたりキスしたりする変態さん程ではありません」
「マジか、この街にはそんなハイレベルな変態が居ただなんて……。
 僕はまったくこれっぽっちも知らなかったぜ」
「……言い方を変えましょう、
 いきなり抱きついたり脱がそうとしたりキスしたりする阿良々木さん程ではありません」
「ん? この街に僕以外に阿良々木なんて苗字の人間が居たのか、
 いやはやついぞ知らなかったよ。もしかしたら遠い親戚なのかもな」
「……もういいですよ」
「なにがいいのかさっぱり僕にはわからないけど、八九寺がそういうなら良いということにしておこう」
「はっ」
「鼻で笑われただと!?」

 ……しかし、先程まで僕が一人でうじうじと引っ張っていた
微妙にシリアスな雰囲気が全て砕かれた。
というか噛み砕かれた、のか?
……とにかく、八九寺の登場によって一気に場面がシリアスパートから
ギャグパートに移行した。台詞がモノローグより多くなってくると大抵ギャグの兆しだな、うん。

「ところで阿良々木さん」
「なんだ八九寺さん」
「制服を着ていますけれど、こんな時間に下校ですか?」
「あぁ、放課後に羽川からテストを出されてさ」
「なるほど、恋人を放置して放課後の教室で羽川さんと二人きりの秘密のお勉強ですか」
「世の中には言い方って物があるよなっ!」
「でも間違ってはないでしょう?」
「確かに間違ってはいないけどさあ……」

 でも正しくもないよそれ。
聞こえが悪すぎる、まるで僕が女たらしのような――。

「あれ、違いました?」
「違うよ! 全然違うよ! なに? お前は僕をそんな目で――見てたんだな! わかった!」
「わかっちゃいましたか」
「わからいでか!」
「賄い出た?」
「飲食店のバイトなんかしたことねえよ!」

 というかアルバイトそのものをしたことがねえよ。
絶賛学生ニート継続中なのだ僕は、確変持続が長すぎる。


 嘆息、しつつ八九寺の登場以降停止していた移動を再開する。
それに八九寺もなにを言うでもなく当たり前のように
僕の隣をぴこぴことツインテールを揺らしながらついて来る。
カラカラと再び小さく聞こえる車輪の音に僕と八九寺の足音が重なる。

「で、阿良々木さん。その羽川さんから出されたテストの結果はどうだったんですか?」
「……本当、お前は脈絡無く話題を変えて唐突に元に戻すよな。
 まぁいいけど、テストの出来自体は普通だよ普通。
 羽川と、いまは抜けちゃったけど戦場ヶ原の二人に
 毎日みっちり教えてもらってたって事を考えたら普通の点数だよ」
「つまりは良い結果だったと言うことですね?」
「ま、そうなるな。少なくとも僕の短い歴史を振り返る限り、
 あそこまで丸で埋め尽くされたのはほとんどないよ」

 あって精々、大抵の答えに丸をしてくれる小学生時代だろう、
当然そんなものはノーカウントなので、実質初めてだ。
――とか言ったら現役小学生の八九寺は怒るだろうか。

「それにしてはあまり嬉しいとか喜ばしいとか言った感じではありませんけど」
「そう、かな」
「はい、どことなく今日は突込みにキレがありませんし」

 突っ込みに切れが無いって、マジかよ。
そんなことを言われたのは初めてだ、
芸人でもないのにそんなことを言われる日が来るとは思わなかった。

「それにどこか上の空ですし」
「上の空、ね」

 それはきっと、さっきまで考えてた台詞が尾を引いてるんだろうな。
……八九寺と羽川は、その点では、非常に近しいから。

「つまり八九寺は自分だけを見て欲しいという訳か」
「え? い、いえそうは言ってませんが」
「他の人の事なんて考えないで私だけを見て! と」
「全然違いますけどっ!?」
「仕方ない奴だなお前は、安心しろ! 僕はいつもお前だけを思い続けてる!」
「一歩間違えばストーカーですから!」
「愛とは他人の理解を求めない物なのさ」
「くっ、格好良い台詞言っても誤魔化されませんよ!」

 中々に強情な小学生だ。
お小遣いや飴ちゃんなどには簡単に引っかかる癖に。


 ううむ、どうしたものか。
普段ならとっくにどこかの台詞に乗っかって
話を脱線させてるというのに、
こういう時に限って追求してくるとは……。

「関係ないけどさ、上の空って下の空もあるのか?」
「水溜りに映った空の事ですよきっと、俯いてこそ見える空もあるのです」
「……お前、詩人だな」
「死人ですから」

 笑えねえよそれ。

「というより先程から話を逸らそうと奮闘していらっしゃるようですけど、
 本当どうかなさったんですか? 小学生な私ですが話を聞く位ならできますよ」

 八九寺はスキップ気味に僕の前に回りこみ、
後ろ向きに歩きながら僕の顔を見上げる。
悪戯げな、子供らしい純粋な表情。


「そうだな」

 僕は一旦足を止め、
普段とは違う表情を見せる八九寺を見下ろした。
自然、お互い見つめあう形になる。

「そのうち、話すよ。
 お前がもうちょっと大人になったら、な」
「……阿良々木さんはずるいですね」
「覚えときな八九寺。大人はさ、ずるい位でちょうどいいらしいぜ」
「高校生は大人じゃないって前言ってたくせに……」
「その辺りも含めて、ずるいくていいんだよ」

 ポンと八九寺の頭に手を置いて、
乱暴に撫で付けながら、僕はまた歩き出した。
少しだけ足早に、家に向かって。

―――

「兄ちゃんおかえりー!」

 家に着いて自転車を定位置に戻し、
深呼吸の後に玄関を開くと同時に火憐の笑顔と機嫌良さげな大声が
僕に向かって真っ直ぐ飛んできた。

 先程は避けたら玄関がどうのこうのとか言ってたけれど、
実際のところそういう問題がなければ避けられるかと問われると微妙だ。
何故なら火憐は玄関の開く音を聞いてダッシュでやってくるタイプの犬ではなく、
ひたすらに玄関の内側で開くのを待ち続けるタイプの犬だからだ。
だから来るとわかっていてもその鍛え上げられた肉体による瞬発力で
玄関を開いた瞬間に僕に向かって思い切り飛んでこられると
正直忍に血を吸わせた直後でも避けれるかどうかは微妙な速度になる。
――勿論、ドアの外側にくっつくように開けば火憐が飛びつく先はただの空間となる訳だが、
足音で聞き分けてるのか、以前やったときは飛び出してこず。
いぶかしんで覗き込んだ瞬間に飛び出して僕の顔面にヘッドパッドをかましてきた事がある。
ぶっちゃけ鼻の骨が折れた。
まさか妹に頭突きを喰らってマジ泣きするとは思わなかった。

「げふがっ!?」

 ということで、本日で何度目になるかわからないおかえりタックルを
素直に全身で受け止める羽目になる僕。
色んなパターンを試してこれがダメージ最小限だと学習したのだ。


 腹に全体重をかけて飛んできた火憐を受けて、
当然二足歩行を保てる筈も無く。
僕はもはや慣れ親しんだ鞭打ち寸前の急激なすっ転び方をする。

「兄ちゃん兄ちゃん兄ちゃん今日も遅かったじゃねえか兄ちゃんどうして最近こんなに遅いんだよ
 私という可愛い可愛い妹が居るのに家に帰ってこないだなんてもうそれだけで罪作りだぜ兄ちゃん
 たまには私にも構ってくれてもいいじゃないか一人で家に居てもつまんねーんだよー」
「句読点入れて喋れよ。呼吸困難になっても知らないぞ」

 抱きついてくるなり僕の首と内臓の負担になど目もくれず
立て板に水の如く喋りだす火憐。
本当、ご近所さんに直接見られたら死ぬぞコレ。
既にほぼ周知だけど、まだそれでも近所付き合いが断絶してないのは
実際に目撃した人が居ないからなんだからさ。


「むぎゅー」

 効果音を口にしながら腕に込める力を増やして
より密着してくる火憐。
本当に玄関じゃなければ、いや玄関であっても
明らかに誤解を招くような密着具合だ。
というか一人って、月火はどうした……。

「そこまでだよ火憐ちゃん! お兄ちゃんも黙って享受してないでさっさと離れなさい!」

 と頭に浮かべたと同時に月火が
もう僕の中で定型文として登録できそうな台詞と共に登場した。
――その両手に鉄アレイを持って。
まだ火憐と違って非力な月火だから5kg程度で済んでるが……、
いやいやいや、鉄アレイて持ち上げる物で振りかざす物では無い筈だぞ。
そもそもそんな物が二つも家にあったのか。

「月火ちゃんは本当真面目に無茶言うな。火憐ちゃんが本気で抱きついてきたら
 僕の力で抜け出せる訳が無いじゃないか」
「……お兄ちゃんは真面目に情けないこと言うよね」

 ほっとけ。かなりほっとけ。



 大方火憐が買ったと思われる鉄アレイを
遠心力を最大に活用して振り回す月火に
僕は結構本気で恐怖してる。
なにが怖いってあんなに腕を素早く回して
今にも鉄アレイがすっぽ抜けて飛んできそうなのが怖い。
回転の方向がソフトボールのピッチャーを髣髴させるのだ、
当たったら鼻の骨が折れるじゃ絶対すまねえ。

「ほら火憐ちゃんもいい加減離れてよー!」
「なんだよ、月火ちゃんは私と兄ちゃんの愛の抱擁を邪魔立てするのか~?」
「そりゃするよ! 場所と関係を考えようよ!」
「ここは私と兄ちゃんの愛の巣で兄ちゃんと私は愛し合っているのだ!」
「火憐ちゃんは手遅れだ! 四十五度の角度で殴って戻るかな!?」
「私を鉄アレイで治せると思ったら大間違いだぜ月火ちゃん!」
「その分沢山殴るよ!」

 僕の恐怖を他所にやりとりを行う二人の妹達、
見ている限り滅茶苦茶話が噛み合ってない。
噛み合ってないっつーか……。

「いやいやいや! おいストップ二人とも、
 つーか鉄アレイで沢山殴ったら普通は死ぬからな!」

 本当、目を離すとすぐに殺傷沙汰になり兼ねない、
原因が僕にあるっぽいから正面きって言えないが困った妹だ。
マジで殺す五秒前とかそんなMK5は勘弁してもらいたい。

「お兄ちゃんは火憐ちゃんがずっと抱きついててもいいの!?」
「それは困るけどっ! だからっていきなり鉄アレイで頭をかち割ろうとするのはどうかと思うな僕は!」
「じゃあなにで殴ればいいのっていうの!?」
「殴るんなっつってんだ!」

 いまだに火憐の頭目掛けて両手を振り上げている月火の前に立ちふさがる、
立ちふさがると言ってもまだ火憐は僕の胴体にしがみ付いたままなので
どうにも不恰好な体制になっているけど。
とにかく月火の手(鉄アレイ)の直線状から火憐を外す。
振りかざした手がプルプルして今にも力尽きて鉄アレイを落としそうだしな。

「ほら、月火ちゃん。いいから僕にその鉄アレイを貸すんだ」
「貸したら私の頭を殴るつもりでしょう」
「お前僕をどんな兄だと思ってるんだよ!?」

 ひっでえ、マジでひでえぞ今のは。
僕が鉄アレイで、というか物を使って殴るなんて真似をする兄だと
本気でこの妹は思ってんのか。

 なんてくだらない軽口の叩きあい。
いや、僕は結構真剣に訴えてる部分もあるけれど、
とにかく今ではこういった丁々発止、三人で普通に会話を行う事ができているが。

 実は数日前まで僕等三人は非常にぎくしゃくしていた。
表立って避けてる訳ではないし、
顔を合わせればそれなりには話す。
けれどどこか余所余所しくて、交わす言葉は途中で地面に落ちて転がるボールのようで、
キャッチボールというか同じ壁に向かって一緒にボールを投げてるような
そんななんとも言えない空気が漂っていたのだ。

 その理由は火憐にあり、月火にあり、
そして誰より僕自身が原因だった。
詳しく話をするのは恥ずかしいというか、
単に憚られるので細部は想像に任せるとしか言えない。
いや、まぁ先のやり取りを見てればある程度は想像が既についてるかも知れないけれど。

 阿良々木火憐が僕、阿良々木暦に恋慕の情を覚え
それを阿良々木月火は知ってしまった。
だけではなく火憐の奴がそれまで付き合っていた彼氏と別れたり、
過剰なスキンシップや過激なアプローチ――この頃に比べれば玄関タックル
はまだ可愛いほうである――を僕に向けたりして、
それを月火は妨害阻止しようとして火憐と喧嘩になったり。

 そして僕自身火憐を受け入れかけていたと自覚し、
それに伴い僕等はそれぞれ距離を置くようになったのだ。
大した長さで無い、むしろ短い部類に入るちょっとした期間。

 両親は微妙にいぶかしんでいたけれど、
思春期の兄妹が喧嘩する事位大して気に留めることではないと思ったのか
特になにも触れられる事もなく。
一週間程その冷却期間は置かれ、八日後の朝に
誰がなにを言うでもなく突然時間が戻ったかの様に
三人ともいつもどおりに戻っていた。


 多分、他人なら一度溝ができるとそのまま疎遠になってしまったりするのだろう。
でなくても仲直りして、溝を埋めるのにはきっと喧嘩していた期間よりも
よっぽど長い時間がかかったりするんだと思う。
でも、そこはやっぱり僕達は兄と妹なのだと、
こうしていままでどおりのやり取りを行うたびにしみじみ思ってしまう。

「よいしょっと」

 気分を切り替えるためにわざと声を出して、
僕は帰宅してから相当時間が経ってからやっと靴を脱いで家に上がった。
抱きついた火憐はまだ離れず、なにかうめき声みたいなのを
口から発しながらそのまま引きずられている。

「……」
「なんだよ」
「べつに……」

 振り上げるのは疲れたからか止めたらしい月火が
けれど目だけは冷ややかに僕と火憐の二人をじっと見据えていた。

「結局、お兄ちゃんはなんだかんだいって火憐ちゃんばかり甘やかすんだね」

 しばらく月火は僕等を白い目で見つめ続け、
手に持っていた鉄アレイを玄関に放り投げて(!)
そう呟きながら自室に帰ってしまった。

「……ありゃ、相当キテるな」
「なにがだ?」
「月火ちゃんだよ、仲直りしてまだあまり経っていないけど
 こりゃまた月火ちゃんが爆発しそうだ」
「ふぅん? 私が兄ちゃんを独り占めしてるのが気に食わねーのか?」
「それは違うと思う」

 学校の無い休日以外はほぼ毎日いまみたいなやりとりをしてるからなぁ、
火憐は好き勝手にやってるだけだし、僕ももう適当に流してるから
月火一人がそういう意味じゃ割り食ってるとも言える。
そもそもとして月火は基本的に当事者じゃないしな。
ううむ。

 そういう、一歩引いた立場だからこそ
やっぱり気になって首を突っ込みたくなる気持ちはよくわかる。
お前には関係ないだろ、と言われる立場だからこそ周りがよく見える。
月火は、位置的にはそういう所にいるのだろう。
だからもどかしくて、むず痒いのだろう。
兄としてそれはどうにか解消してあげたいと思うし、
現状を打破しないとまた喧嘩して仲直りして喧嘩してと繰り返してしまうとも思う。
人間関係は、骨と違って折れた後強くなるとは限らない。
何度も繰り返せば愛想を尽かし二度とくっつく無くなる事だってある、
兄妹だから、その耐久が高いだけで。
勘当という、親が子を見捨てる言葉がある中で、
兄と妹が普遍だなんて思うほど僕は正直じゃない。

「兄ちゃんどうした?」

 う~ん、羽川さんのお言葉の所為だろうか。
こんなに変に感傷的になってしまうのは、
穿って物を考え過ぎな傾向があるな僕は。
だから今日は普段ならとっくに振り払ってる火憐を
まだ腰にぶら下げたままにしてるんだ。

「世の中ままならねえなぁって」

 そんなことを、丁度良い位置にある火憐の頭を撫でながら思った。

―――

 月火が相当キテるどころか
来るとこまで来ていた、行く所まで行っていた、という事に気が付いたのは
僕にしては妹に対して殊勝な、
前向きで歩み寄るような、そんな珍しい感情を持った。
その直後と言っても差し支えない、翌々日のことだ。

「もういい加減にしてっ!」

 言うは安し、行なうは難し。
感情を持ったところで特に行動を起こせない薄くて弱い僕に、
月火はとうとうぶち切れて、断ち切った。
これまでの空中ブランコしていた僕達の全てを。


 この日も避けることも受けることもできず受けた火憐のタックル。
そして月火がやってきて怒り、火憐が反発し、僕が呆れる。
そこまでは確かに同じだったのだ、
月火の手に一昨日よりさらに重量が増した鉄アレイが握られていたのも
まだよくある光景で済んだ。

「まぁまぁ月火ちゃん、言っても聞かないんだからさ。
 怒るだけ疲れるぞ? どうせ月火ちゃんには関係のないことなんだからさ」

 けれど、僕の台詞がまずかった。
圧倒的に不味くて、絶望的に悪かった。
月火の氷点下にある沸点でずっと煮えていた怒りを、
つついてかき混ぜてしまった。

 そして、あの悲鳴にも似た絶叫と共に、
月火は二つ合わせて十六キログラムにもなる鉄の塊を振りかぶって。
     ・ ・ ・ ・ ・ ・
 そして振り下ろした。

 こともあろうに、誰よりも側で、誰よりも長く、一緒の時間を過ごしてきた
ファイアーシスターズの相棒。阿良々木火憐の頭頂部に、思い切り、
なんの手加減も無く、なんの躊躇いも無く、なんの衒いも無く。

 鈍い、硬い骨と鉄がぶつかる音が、立て続けに二回。
そして僕に抱きついていた腕から力が抜け
火憐の身体が廊下のフローリングにべちゃりと倒れる。

「う、うおっ!? おまっ、なにしてんだ月火ちゃん!」

 月火は殴った事で火憐に対する興味を無くしたかの様に
ぽいと一昨日と同様に鉄アレイを放り投げた。
着地したのは、玄関ではなく火憐の倒れた身体の上。

「火憐ちゃんも、お兄ちゃんも」

 そこで一拍置き、月火は突然の事態に困惑する僕を尻目に
腰に手を回して手放した鉄アレイの変わりに一度も使われてない
置物となっていたデカいガラスの灰皿を取り出し。

「だいっきらい!」

 火憐に続いて僕の頭を思い切り殴打して、
そのまま家をでていってしまった。

「い、……っちー」

 素敵に灰皿の角が刺さった側頭部を擦りながら
月火が裸足のままでていった玄関を眺める。
あいつこめかみをストレートに狙いやがったぞ、
僕がちょっとした不死身じゃなかったらどうするつもりだ。

「っと、それより火憐ちゃんだよ!」

 じくじくと痛む頭を押さえながら
まだうつ伏せに倒れたまま動かない火憐の肩を掴んで抱き起こす。
灰皿で殴られても卒倒しそうなくらいダメージを受けたんだから、
鉄アレイで二連撃を喰らった火憐はどれ程のものか――。

「あー、痛かった。月火ちゃんもう行った?」
「……まぁある程度は予想してたけどな」

 兄の心配は、ものの見事に杞憂で。
火憐は僕は抱き起こしてすぐに目を開いて起き
殴られた後頭部を適当に擦りながら自分の足でまっすぐ立っていた。


「お前、本当に人間か?」
「私が人間だ」
「じゃあ僕は化物でいいよ」

 え~、……どこぞの誰かみたいな発言はスルーするとして。

「しっかし、マジでお前大丈夫なのか?
 流石にそれは鍛えてるからってレベルじゃないぞ、限界突破しすぎだ」
「私のポニーテイルは天を貫くポニーテイルだ!」
「はいはい格好良い格好良い」

 言いつつ僕も立ち上がる。
足もふらつかないし軸もぶれちゃいない、
でもそれはあくまで人間の範囲を超えた能力故であって。
僕よりも破壊力のある攻撃を食らってただの人間である火憐がピンピンしてるってのは、
……解せないにも程がある。

「とりあえず火憐ちゃんこっち向いて屈んでみろ」
「なんだ? キスしてくれるのか?」
「僕とお前の身長差はそこまでじゃねえよ! 屈まれないでもキスできるわ!」
「ほう、本当か?」
「当たり前だ! 三つも年下の妹にそこまで身長差をつけられてたまるか!」
「じゃあやってみてくれよ」
「いいぜ! 火憐ちゃんが屈まなくても全然普通にキスできるって所を見せてやる!」
「ただし背伸びはしちゃだめだぜ? そして私は正面を向いてるからな」
「くっ……、やってやる!」

 ――閑話休題。

「そうじゃなくて殴られた所が大丈夫かどうか
 確認しようとして屈めって言ったんだよ僕は!」
「しっかりキスした後に気が付くとは流石だな兄ちゃん」
「うるせえ! もう一回屈め!」
「兄ちゃんその台詞は結局微妙に届かなかったという事を暴露してるぜ!」

 なんだよ、そんな目で僕を見んな。

「たんこぶができてる位で別に大したことはないっぽいな……」

 何事も無かったかのように火憐の髪を引っ張って
無理やり確認してみたが、陥没するどころか
つむじ付近にでけえたんこぶが一つできてるだけで
本当に大したことがないように見える。

「月火ちゃんは最初からこの程度で済むとわかっててぶん殴ったのか?」
「どうだろうな~。確かに月火ちゃんは私の頑丈さをよく知ってるけど
 別に重傷になっても構わないって程度に本気で殴ったようにも感じたぜー」
「また他人事みたいに言うなお前は、唐突に殴られて怒ったりしないのか?」
「どんだけ殴られても生きてればそれで万事解決だ」
「火憐さんは本当Mカッケーな」

 実の妹に頭を殴打されたにも関わらず
ケロッとした顔でそんな発言をできるとは、
本当に器が広いのか神経が太いのか。

「とにかく、いくらお前が大丈夫といっても頭は怖いからな。
 お前は部屋に戻って少し休んでろ」

 幾ら頑丈でも中身の方はそうでもないのだから、
とりあえずは安静にした方がいいだろう。
僕の方は、もう完治したし。

「兄ちゃんはどうするんだ?」
「僕は少し休んだら月火ちゃんを探しに行くよ。
 靴も履かずに飛び出していったから心配だしな」

 いいながら月火ちゃんがぷっつんする少し前に脱いだ靴を履きなおす。
制服のままだけど、まぁ大丈夫だろう。
少なくともミニスカ着物の月火よりは良い。

「そっか、じゃあ、うん、兄ちゃんに任せるよ」
「へぇ……」

 てっきり自分もついていくと言うと思っていたんだけど。
流石に火憐でも月火が切れた原因を考えたら
僕と二人で探しに行くという選択はとり難いか。

「さて、行ってくるよ」
「万一家に帰ってきたら携帯に電話するからな!」
「わかった。安静にしてるんだぞ」
「合点承知のすけ!」

 火憐と手を叩きあって家をでる。
さて、今回はどっちのパターンだろうか。

 こうして月火が怒って家をでるのは実の所そう珍しい事じゃない、
小さい頃から度々気に食わない事があると突発的に家から逃げだしたりしていた。
大抵そういう場合は見つけてもらうこと前提で、
ちょっと探せばすぐ見つかるような場所に一人でいじけていたりした。

 それは子供らしい些細な反抗と、
自分をそんな風にしか表現できない不器用さと、
どんな形でも良いから自分を見て欲しいという自己顕示欲と、
色んな物が綯交ぜになった感情の結果で。
月火がでていってしまってからも
僕と火憐が存外あっさり、というか冷静なのも
きっと今回もそういう類の物で、近くにわかりやすく佇んでいるのだろうと思っていたからだ。

「……居ないな」

 けれど、今回は、もう一つのパターンだったらしく。
僕が自転車を緩いスピードで暗くなった街を徘徊しながら
思い当たる場所を見渡しても月火の姿はなかった。

「忍、おきてるか?」

 自転車を一旦公園で止め、
街灯の下で輪郭をはっきりとさせた自分の影に声を落とす。
傍から見れば独り言にしか見えない僕の声を受けて、
僕の影から二本の腕が伸びる。その細く白い手が地面を掴むと
自分の身体を影から引き上げるようにそのか細い体躯がゆっくりと姿を現す。

「ふん。いきなり頭を鈍器で殴られて起きない訳がないじゃろうが」

 吸血鬼の成れの果て、僕の主人にして、僕の従者である所の忍野忍は
そんな心の底から不機嫌そうな台詞と共に登場した。
非常に頼みごとをし辛い雰囲気である。

「お前様よ、妹御の躾はも少し厳しく行って貰いたいのじゃが」

 僕が治ってる以上忍だって当然その殴られた痛みは
欠片も残っていないのだろうけど、それでも忍は
嫌味のように自分のこめかみを押さえて眉を顰めて見せた。

「ごめん、って謝るのもなんかおかしいけどごめん忍」
「誠意が感じられんのう」
「お前なあ……」

 僕の影に全部隠れる程度の華奢な体躯の少女は
喉を鳴らす猫のように笑いながら「冗談じゃ」と一言呟いて、
その長く美しい頭髪と同じ光る金の瞳を僕に向ける。

「で?」
「で、ってなんだよ」
「ここはお前様の部屋では無いようだしの、
 いつものお喋りのつもりで儂を呼んだ訳ではあるまい」
「まぁ……な」

 痛みと同様、感情や思考も
全てが全て忍には筒抜けで駄々漏れで明け透けで、
忍が僕にする分には問題ないけれど、
僕は忍に対して隠し事をすることは不可能なのだ。
するつもりも、そもそもないけれど。
今だって、話が早いくらいにしか思っちゃいない。
……できれば一番隠したいと思ってるものも、
つい最近思いっきり見られたしな。

「わかってるだろうけどさ、その妹が暴走して逃走しちゃってさ。
 今の僕が一人で探すにはちょいと時間がかかりそうで忍の手を借りたいんだ」
「ふむ、しかしのうお前様よ。儂は見ての通りか弱い幼女でのう
 失せ物探し物の人員にはならんぞ?」
「あぁ、僕もお前に探すのを手伝ってくれって訳じゃない」


 そもそもとして忍は基本的に僕の影にしばられている。
例え今が太陽が落ちた夜の時間帯だとしても、
範囲が多少広がるだけで結局は僕からあまり離れられない。
仮にこの街全部を一人で歩きまわれる程度に範囲が広がったところで、
忍が自分で言った様にその機動力は八歳の少女の物。
正直戦力として数えられる物ではない。

「……成る程のう」

 忍も僕の思考を理解したのか
なんともつまらなそうに頷いてみせる。

「今の僕じゃ、一人で探すのは難しい」

 だから、今よりももっと夜に強く、
遠くまではっきりと見渡せる視力と、どこまで探しても疲れない体力と、
ついでに見つけた後に凶器で持って抵抗してくるであろう月火の攻撃に
怯むことの無い耐久力を持つ僕にならないといけない。
つまりは、今よりももっと吸血鬼に。

「忍、僕の血を吸ってくれ」

―――

 結論を言うと、僕は月火を見つけられなかった。
あんなにも格好をつけて忍に血を吸わせ、
人間離れした身体能力を駆使してまで探したにも関わらずだ。

 ――あの後、公園で上半身裸になり
金髪幼女と抱き合って自分の首を噛ませるという
なんかもうどうにも言い訳の聞かない体勢になりながら
忍に血をたっぷり吸ってもらい吸血鬼性を格段に上げ
月火探しを再開したのだが。
小一時間も探さないうちに火憐から電話がかかってきて、
月火が自発的に帰ってきたっぽいとの報告を受け
僕はすごすごと家に帰った。一人で。

「うわぁ……。冷静に振り返るとすげえ馬鹿だ僕」

 自室で一人唸る僕。
昨日の発言や行動の全てが全て恥ずかしくて仕方が無い、
つーかあんだけ怒って家をでて行った癖に
ほんの二時間もしないで自発的にすんなり帰ってくるって……。

「無しだろ……」

 勿論何事も無く帰ってきてくれたのは非常に安心する話なのだが、
こんな肩透かし、拍子抜けみたいな結末は基本的にダメだろ。

「儂はいつもより早めに血を吸えて満足じゃがのう」
「お前はそうだろうな」

 ベッドで懊悩している僕を醒めためで見る忍に
嘆息を付いて答えつつ起き上がる。

「なんじゃ、お前様は妹御が無事に帰ってきたことに不服なのかの?」
「そうじゃないよ、ただ腑に落ちないというかさ」

 僕が一人で黒歴史を増やそうが
誰に迷惑をかける訳でもない。
精々僕のこの小恥ずかしい感情を共有する羽目になる忍が不快に思うくらいだ、
それ位は我慢してもらおう。

 それより問題なのはやっぱりどこまで行っても月火の事だ。
一人で帰ってきたのも、過去に事例が無いとは言えありえない事じゃない、
それならそれで受け止めるしかないだろう。
少しは月火も大人になったのだと前向きに考える他無い。
ただ、その理由が不明瞭なのだ。
夜風に当たって頭を冷やし、怒りが収まって帰ってきたのなら
全然それは理解の範疇だし、気にしない。

 けれど僕が昨日一人で消沈しながら帰った後、
一応僕にも非があったと謝った時の月火は
決してそんな風には見えなかった。
圧力釜の中身のように、沸点はより下がり
見えないだけでぐつぐつと煮えたぎっているようにしか、思えなかった。

 そんな月火が、まさか補導とかそんな物を気にして
自分の意思で帰ってくるとは思えない。
仮に僕が月火を見つけていたとしても、
連れ帰るには相当な時間と根気を要するだろうにだ。

「ま、いいか」

 頬を二回叩いて意識を切り替える。
いつまでも月火の事を考えていてもしょうがない、
本人が口を割らない以上わからないものはわからない。
人の考え方、思考や思想なんてものは、特に。

「む、どこかに行くのか?」
「それも良いかな。どうせ今日土曜日だし」

 月火のことがなくても居心地が悪い曜日だ、
ちょっと遠出するのも悪くない。
ほとんど無意味になったけど予定外に血を吸ってもらった礼に
忍をミスタードーナツに連れて行くのもいい。
確か今はなんかのイベントをやっていた気がするし。

「いべんと?」
「あぁ、確か先着何百人かに無料でドーナツを一個くれるとか」
「それは本当かお前様!?」
「CMでやってたし、多分いつものミスドでもやってるだろ」
「あんなに美味しいドーナツをただでくれるとは、ミスドぱないのー」
「そうだな、ぱないな」

 と、話がまとまった所で忍を影に詰め込み直し
さっさと着替え、財布と携帯だけを持って部屋の扉をそっと開ける。
廊下に僕がでてくるのを待って抱きつこうとしてくる
火憐の姿がない事を確認して一階に降りる。

「ん」

 できるだけ音を立てないように居間に降りていくと、
まるで昨日の事がなかったかの様に自然な態度で月火が居た。

 休日の朝にやっている定番の子供向けアニメが流れるテレビを
ただただ眺めながら普段どおりの服装で朝食を食べている月火。
僕が降りてきたことにも目を向けず、
呆けたようなその態度は本当にいつも通りで、逆に違和感があった。

 あと、もう一つ。
そんな違和感が些細に感じるほどにおかしい点が。

「……そんなに食うのか? 豚になるぞ」

 机に並ぶ朝食、いや仮にそれが夕食だとしても
かなり重たいであろう沢山の料理。
それが比較的少食の筈の月火の前にずらりと置かれ、
月火はそれをなんということもなく黙々と食べている。

「うるさい」

 僕の台詞に対しても非常に抑揚の無い一言だけ口にして、
すぐに料理を言葉の代わりに口にする。

 僕のその態度から自棄食いの類だろうと
適当に自分の中で答えをだし、
ここは放っておいた方が身のためだと
それ以上なにも言わず背を向けた。

「……お兄ちゃん、どこか出かけるの?」

 アニメを流しているテレビが発生源だろうと思われる
爆発音が場違いに居間に響き、
それと同時に発した月火の言葉は僕の耳に届く前にその音にかき消される。

「え? なんだって?」
「だから、お兄ちゃんどこか――」

 足を止めて月火の台詞を聞き返すと
月火は苛立った様子でこちらを向き、
そして僕の視界からフェードアウトした。

「おいおい兄ちゃん私を置いてどっかでかけんのかよー!
 置いてけぼりなんてそりゃないぜ、一緒に連れてってくれよ!」

 正確には僕がぶっとび月火を視界に納めていられなくなった。

「おい、火憐ちゃん。いい加減にしないと僕も怒るぞ」

 しこたま廊下にぶつけた頭を庇いつつ
すりつく火憐のポニーテイルを掴んでそのでかい図体を引っぺがす。

「抱きつくな引っ付くなしがみ付くな絡み付くな」
「ぶー」

 こいつはなにが原因で月火がぷっつんしてるかわかってるのか本当に、
変に腫れ物を触る様な態度を取るよりかは普段通りに接するというのは
こういう場合のセオリーではあるけど逆撫でするような行為位は慎めよ。

「あれ?」

 と、火憐を全力で押さえ付けながら
先程まで月火が居た場所に目を向けると
既にその姿は無く、放置されたテレビと料理だけが虚しく
自己主張しているだけだった。

「どうしたんだ兄ちゃん」
「さっきまで月火ちゃんがそこに居たんだけどさ」
「ふ~ん」
「ふ~んって、お前興味示さなすぎだろ……」
「そう言われてもなぁ、部屋にでも戻ったんじゃねえの?」
「そりゃ人間が急に消える訳ないからな、常識で考えたらそうなるだろうけど」
「私の目には兄ちゃんしか映ってないぜ!」
「はいはいわかったわかった」
「冷てえ!」
「毎日の様にそんな事言われてりゃあ慣れるっつーか飽きるっつーか」
「べ、べつに兄ちゃんの事なんか好きでもなんでもないんだからね!」
「それが普通の兄妹としての姿だ」

 あとキャラを変えろと言った訳じゃねえよ。
お前にツンデレとか死ぬほど似合わない。

「兄ちゃん。私は米が好きだ」
「また変な所に着地したな……」

 そんなんわかる奴いねえよ。

「にしても火憐ちゃん最近月火ちゃんにやたら素っ気無いよな」

 ついこの間まで5W1Hを共にしていた
兄の僕ですら引くくらいの仲の良さはどこに行った。

「なんつーかさ、私が素っ気無いっつーより
 月火ちゃんの方が私に対して素っ気無いから私もそうなっちゃうって感じなんだよ」
「月火ちゃんが素っ気無い?」
「素っ気無い、じゃねーかな。どっか醒めてんだよ、
 なんか一歩引いちゃったみてーな。白けた感じ。
 んでそんな目で見られるもんだから私まで、みてーなさ」
「ふぅん。お前等にも色々あんだな」
「そりゃ当たり前だろ。兄ちゃんが私や月火ちゃんと色々あるのと同じくらいには
 私と月火ちゃんにも色々あんのさ。ってか兄ちゃんまだ返事聞いてないけど
 どこにでかけるんだ?」
「ん? あぁ、ちょっとミスドまで行ってこようかなって。
 ほらなんかイベントやってるだろ今」
「そういやそんなこと言ってたっけ……、ってあれ?
 それ、今日が最終日だよな?」
「うん」


「月火ちゃんと一緒に行くって、前言ってなかったっけ?」

 そういえば、そんな話をしたっけかな
火憐が格闘技の練習に行ってる時に。
僕と月火の二人でテレビを見ているという比較的レアな
状況になったときに件のCMが流れて、
月火が久しぶりに食べたいみたいな事を言い出したから
じゃあ今度行くか見たいな返事をした覚えが微妙にある。
あれを約束といって良いのかどうかはわからないが、
確かに行くとは言ったな。

「でもなんで火憐ちゃんがそんなこと知ってるんだ?」
「月火ちゃんが自分で言ってた、
 今度兄ちゃんと二人ででかけるって嬉しそうにしてたぜ」
「マジでか」
「あんま覚えてないから曖昧だけどな、
 だから行くなら月火ちゃん誘ったほうが良いんじゃねーの?」
「いやいや、無理だろそりゃ。
 仮に誘っても来るとは思えないし」

 女の子と甘いものが相性いいのは知ってるけど、
流石に現状の月火がミスドに食いついてくるとは思えない。
それに月火がいると忍が顔を出せないしな。
どうせ嬉しそうってのも火憐目線の補正だろうし、
一々気にする必要もない。
月火と二人でどこかに行くなんて何年前にしたきりかも覚えてないのだ、
いまさらそんなものに月火が喜ぶとも思えない。

 現に今も月火の部屋から何かがぶっ倒れるような音が聞こえている、
あんな荒れてる月火に正面から話しかけようと思うほど
月火との付き合いは短くない。

「ってもうこんな時間じゃねえか。
 先着なんだからなくなっちまうし僕はそろそろ行くから
 とっととその手を離せ火憐ちゃん」
「うぇーい」
「家でちゃんと大人しくしてるんだぞ」
「応、セールスとか来ても全部私が力づくで追い返すから安心しろ兄ちゃん」
「それは大人しくとは言わない」

 そんなやり取りを交わして、家をでる瞬間。
そこまでが、日常だった。
月火の暴走を含めて、まだ、日常だった。
誰も彼もが正常の中でふざけたり暴れたりしていただけで、
そのどれもこれもが、どこかで誰かが似たような事をしているレベルの
他愛の無い出来事でしかなく、他意の無い物事でしかなかった。

 筈なのに。
“それ”はいつも突然やってくる、
小さな偶然や大きな天災のように、突発的に。

 ――いや、兆候はあった。
いくらでもあったし、気づけた筈だった。
でも、“それ”は気づかせない事に長けた事象で、
隠れ、隠し、消して、潰し、殺してしまう類の事態で、
だから気づけた筈だけど、気づける訳が無くて。
僕はなんの違和感もなく過ごしてしまっていた、
小さな間違いに気が付いても、大きな変化に気づけないトリックアートの様に。
身近な異変を見逃していた。
見逃して、見過ごして、そして見放して見捨ててしまった。

 見えない振りをしていた自分そのものを見えない振りしていた。


 いままでも、ずっとそうだった。
いつでもいつも遅きに失してばかりで、
全てが終わった後にやっと気づく。
先回りできたことなんて一度も無くて、
一番最後に追いつくことで精一杯、それすら侭ならない時もある。
そういうものだってわかっていても、
そういう現象だって、事象だって、理解していても。
悔やんでしまう、どうしていつも僕はこうなんだ、と。

 せめてもう少し早く、せめて後一歩先に、
そんなことばかり“それ”と出会う度、出遭う度に思わされる。
非力さを、無力さを、突きつけられる。

 あの軽薄なアロハの専門家なら、
きっとこんな小さな出来事なんて
起こる前に終わらせてしまうのだろう。
他の誰もが存在に気づかないうちに、
隠密裏に全てを処理することも可能だったろう。

 でもそんなことを言ってもしょうがない。
あいつはここに居なくて、
僕はここに居るんだから。

 気づくのが遅かろうが、遅すぎようが、
手遅れでないのならそれでいいと思おう。
思うことにしよう。
じゃないと、報われないから。

 僕は僕なりに怪異と向き合えばいい。

 04.

 忍とミスタードーナツに行って
ドーナツを二つ貰い、それを両方とも忍に食べられ
さらに足りないからとポン・デ・リングやチョコファッショや
ゴールデンチョコレート、エンゼルクリーム等様々なドーナツを買わされた土曜日。
あの日に交わした些細な会話を最後に僕と月火は今日まで一言も会話しておらず、
つまりは仲直りも果たしていない。

 というか、僕はあれ以降月火の姿そのものを見ていないのだ。
学校には行ってるみたいだし、微妙にニアミスしたりもしているのだが
故意か、はたまた奇跡みたいな偶然か、
同じ家に住んでいながらあれからの数日僕は月火と本当に遭遇していない。

 火憐も同様で、気配はするけど会えないとよくわからない事を言っていた。
まぁ気配で場所と個人を特定できる感覚が僕には当然わからないので
適当に無視をしたけれど。

 しかしそんな状況に僕や火憐ちゃんは
置手紙やいると思われる部屋の外から接触を試みたりなどせず
月火ちゃんに対してここ数日、完全にノータッチを貫いている。

 単にここまで切れたことの無い月火ちゃんに
どう接して良いのかわからないとか、
今度こそ殺されるんじゃという恐怖などがあって
躊躇っているわけでも、またない。

 放置することこそが最良だ、と、
どこか僕も火憐ちゃんもそう認識してる帰来が有る。
理由はわからないし、以前の僕なら確実に自分の用事や
学校等を放棄して月火ちゃんが元に戻るまで付きっ切りだったろうけど
どういう訳か今回はそうするべきだと思ったのだ。

 するべき、と思ってそうして。
そしてどうにもならないまま、今日も僕は学校に来て
誰もまだ登校してない教室に一人呆っとしている。

「……ちょっと早く着すぎたかな、羽川もまだみたいだし」

 午前七時十五分前。
そんな時間に学校に来る高校生なんて
もっと部活動に力を入れてる学校の
全国大会とかにしょっちゅう顔出してる部の奴等でもそうは居ないんじゃないだろうか。
特にこの時期のこの時間帯は異様に寒いし。

「っつっても、この所平日でも居心地悪いんだよなぁ……」

 別に月火の事で家の雰囲気がギスギスしてる訳じゃない、
さっきは触れなかったけど家の両親も月火の隠密活動に対して
まったく普段通りの感じでいる。寛容なのか冷淡なのかはわからないが、
まるでなんの問題も起きていないかのように、まるで月火が居ないことを平常とするかのように
触れる事無く過ごしている。

 だからそうじゃなくて、
え~っと、なんというのだろうか。
無性にそわそわする、とでも言えばいいのかな。
とりあえず居たくないのだ。
まるで歓迎されていない家に居る時のように、
そわそわして、浮き足立つ。
仕舞いには眠りまで浅くなってこんな時間に登校してしまったり。

「早く羽川来ないかな……」

 一人では予習する気にも慣れず
ただただ怠惰に時間を過ごしているこの感じも、また嫌だ。

 かといってなにもしないでいるのも当然辛いので
頭に入らないのを承知で適当に教科書を取り出して
最初から順番に読んでいく。

 教室にも暖房が一応存在するのだが、
こんな時間からつけっぱなしにしているのを羽川にバレたら
絶対に怒られる。
僕が先に来たのはこれが初めてだからどの位の時間にくるかも
まったく予想が付かないし、仮に時間がはっきりとわかっていても
教室が暖かかくなっていたらやっぱりバレバレだもんな。

 しばらくそんな感じで教科書を読みながら
寒さと座る椅子の冷たさに慣れてきた頃。

「あれ? 阿良々木君? おはよう、今日は随分早いね」

 開けっ放しにしていた引き戸から現れた羽川は
僕の姿を見て驚いたようにそういった。
教科書を閉じながら時計を見てみれば
まだ僕が来てから二十分も経っていない。

「おはよう羽川。うん、なんか早く目が覚めてさ。
 暇だったから教科書読んでた」
「それは良いことだけど、早く起きたからって早く学校来る理由にはならないよ?」

 相変わらず鋭いなあ、
普通の奴ならそこで流しちゃう場面だろうに。

「あ~、まぁ確かに理由はそれだけじゃないんだけどさ」
「どうしたの? 妹さん達と仲違いでもしたの?」

 ……ほんと、隠し事ができない相手って事じゃ
やっぱりそもそも隠す場所を共有してる忍に勝る奴は居ないけど、
次点を挙げるならどう考えても羽川だよなぁ。
そこに隠し事をしようと思わせない人格が重なるんだから、
反則級だよな。羽川が良い奴で本当によかった。

「そうだな、喧嘩っていうより仲違いってのはまさに正解って感じだ」
「そっか、朝からそんな事があったから早く学校に来ちゃったんだね阿良々木君は」
「うん? いや、違うよ羽川。珍しいな読みを外すなんて
 仲違いしたのは今朝じゃない」
「じゃあ昨日の夜に色々あって不貞寝してそのまま?」
「いや、もっと前の事だよ。えぇっと、先週の土曜日だから……五日前、かな」

 僕がそう言った途端に羽川の目がスッと細くなったのは
ただの気のせいだろうか。

「それは月火ちゃんと? 火憐ちゃんと? それとも両方?」
「いや、元はどっちかとでももう片方が絶対に向こうに回るから
 大抵喧嘩は両方とって感じなんだけど、今回は下の妹とだよ」
「月火ちゃんと、って事は火憐ちゃんとの事で?」
「あー、まぁ、そうかな」

 あ、また羽川の目がちょっと細くなった。

「ねぇ阿良々木君。それって阿良々木君が一言謝ったら終わるんじゃないかな?
 少なくともそれっていままでになかった類の事じゃないでしょ?」
「あー、まぁ、そうかもな」
「今までは、それで月火ちゃんの機嫌は直ってたんだよね?」
「あー、うん、そうだな」

 さっきから同じ様な言葉しか口にしてない僕。

「なのにどうして今回はそんなに長引いてるの?」

 羽川って、こんなに根掘り葉掘りな事する奴だっけ?
ううん、妹達と仲良くやっているのは知っていたけど
こんな風になるとは想定外だ。

「何度怒っても同じこと繰り返す僕と火憐ちゃんにいい加減愛想が尽きたんじゃないのか?
 実際下の妹がぶち切れた事なんて数え切れないくらい僕も見てきたけどさ、
 その中でも群を抜いてる位でさ今回は」
「謝っても、許してくれなかったの?」
「いや、そもそも謝ってないなそういや
「謝ってない。……へぇ」

 意味ありげに僕の言葉を反芻する羽川。
もう目がどうこうじゃないレベルで明らかに雰囲気が変だ。

「だ、大体あいつも僕を徹底的に避けてるのか顔も見せないしな
 謝ろうにもそもそも会えないんじゃなあ」

 自然と言い訳をするような口調になる。

「でも同じ家に住んでて部屋もわかってるんだよ?
 謝ろうと思えばいくらでも手段はあったんじゃないかな、
 携帯だってあるんだし」

 早口で捲し立てるように喋る羽川。

「いや、それも思いついたんだけどさ」
「だけど?」


「まぁ、いいかなって」

「なに、それ」

 話しながら近づいてきて、いまは手を伸ばせば届く距離に居る羽川の
そのドスの利いた声は、実際はとても小さなもので、
でも僕の耳にはまるで怒鳴り声のように大きくはっきりと聞こえた。

「阿良々木君って、そんな冷たい人だったっけ?」

 座ったまま見上げる僕と、立って見下ろす羽川。
なにもしてなくても、威圧される。

「いや、でも――」
「阿良々木君さ」

 僕の弁解を遮る様に、羽川は続ける。

「さっきから月火ちゃんのことだけ、名前で呼んでないけど、なんで?」
「なんでって……」

 言われて気づいた、なんでだろう。
羽川には妹の呼び方の事なんてとうにバレてるのだから
わざわざ面倒な呼び方をする理由も無い筈なのに。

 羽川が僕の机に勢い良く両手を叩きつける。
その乾いた音を、僕はまるで自分の頬を思い切り張られた音のように
なぜか、錯覚した。多分、羽川の中でどんな理由があっても
手を上げるのは悪いことという考え方がなければ、
本当に僕が殴られていたのだろうと確信したからだろう。

「忍ちゃんっ!」

 そして羽川は叫ぶ。
誰も居ない、冷たい空気が蔓延る教室で、
僕ではなく、この場に居ないけど存在するもう一人を呼びかける。

「でてきて忍ちゃん! 話があるの!」

 もう耐えられない、そう言ってる様な悲痛な呼びかけ。

「お、おい羽川」
「阿良々木君は黙っててっ! 忍ちゃん、聞こえてるんでしょ!?
 全部わかってるんでしょ!? お願いだからでてきて!」


 机をどかし、まるで椅子に座る僕に頭を垂れる様な姿勢になって
僕の足元の影に住む、起きてるかどうかもわからない忍に向かって
闇雲に声をかけ続ける羽川。
そんな羽川を見ていられなくなって止めようとしたと同時。

「やかましいのう小娘」

 一歩踏み出そうとした僕の足を掴み
影から這い上がるように忍は登場した。
欠伸をかみ殺し、所々跳ねた金髪を掻きながら、
不機嫌そうな表情で、忍は厳かに言う。

「主でもない人間が儂の眠りを妨げおって、
 くだらない用事ならば容赦はせんぞ」

 普段僕と接するときの砕けた忍ではない、
小柄ながらも怪異の王としての風格を前面に押し出した姿に
けれど羽川は一歩も動じずに正面から向き合う。

「忍ちゃん一つだけ答えて。この阿良々木君は正常なの?
 それともなにかの仕業なの?」
「おい、まるで今の僕が異常とでも言う様な――」
「阿良々木君は黙ってて。
 ねぇ忍ちゃん、あなたならわかるでしょう? 阿良々木君と繋がってる忍ちゃんなら」

 僕に見向きもせず沈黙を命じ、
羽川は真剣な表情で忍に問う。
僕がまともかどうかを。

「小娘、目上の者になにかを請うならばそれ相応の態度がおるじゃろうに」
「お願いします、教えてください」

 忍の不遜な態度に対する羽川の行動は素早かった。
凄惨な笑みを浮かべ見下すようにその瞳を輝かす忍に、
羽川はなんの躊躇も逡巡もなく、ようなではなく本当に頭を垂れ懇願した。

 忍は羽川のその姿を数秒だけ眺めた後。

「ふん。本当につまらん小娘じゃ」

 唾棄するように呟いた。

「言っておくが我があるじ様は至って正常じゃ、
 少なくとも怪異には憑かれておらぬ」
「じゃあ、月火ちゃんなの?」
「……一つだけ答えてくれという話の筈じゃろ、これでサービスは仕舞いじゃ」

 羽川の追求に、忍は忌々しげに顔を歪めてから
僕の影に沈もうとする。

「ま、待ってくれ忍」

 その手を、僕は掴んで引き止める。

「なんじゃ、お前様まで儂の睡眠を妨げるのかの」
「そういう訳じゃないが、僕も聞きたいことがある」
「……ふぅ。なんじゃ?」
「羽川の言った事についてだ、正直僕には全く感じれないけど、
 羽川がなんの確信もなしにそんな事言う訳が無い。
 念の為の質問ってレベルで答えてくれ。僕の身の回りで、なにか起こってるのか?」

 忍は僕の質問に舌打ちをして先程よりも顔を歪め、
羽川を睨みつけてから「そこの小娘の言った通りじゃ」と肯定した。


―――

 哺乳綱偶蹄目イノシシ科亜種の動物。
つまりは豚。食用として世界中で飼育される家畜。
他人を罵倒する際に名称が使われるが
実際は賢く、運動能力も高い。
原種は、知っての通りイノシシ。

「かたきらうわ?」
「うむ、かたみみぶたと書いて片耳豚じゃ
 主に九州で知られているらしいの」

 教室で忍の一言を聞いた僕は
羽川に今日は早退するとだけ告げてから忍を抱えて
全力で教室から自転車置き場に戻り、
籠に忍を積めて街を走っている。

「そいつは一体どんな怪異なんだよ?」
「単純に言えば人を殺す怪異だそうじゃ」
「人を殺すって、憑いた人間を殺すって事か?」

 籠と影が重なる様にするあの漕ぎ方で自転車を走らせる僕。
目的地は不明だが、目的は下の妹の捜索。

「元の怪異譚ではその片耳豚に股をくぐられた人間は死ぬ、
 万一生き残っても一生腑抜けになるという物らしいのじゃが。
 この場合はちょいと違うの」
「違う?」
「うむ、単に人をそのままの意味で殺すのではなく
 憑いた人間の人間関係を殺す、とでも言うのかの」

 人間関係を、殺す。
つまり……、どういうことだ?

「憑かれた人間と関係を持っていた人間は
 やがてその者に興味を抱かなくなり、接さず、離れていく。
 なんの例外も無く、のう」
「随分、気分が悪くなる性質の怪異だな」
「気分が良いも悪いもない、そうあるべくしてあるだけの物じゃ」
「しかし、人間関係を殺す、ね」

 だから僕は未だにこんなに冷静で真剣じゃないのだろうか。
興味を、なくしてしまいかけているから。

「さての、それこそ興味が無いことじゃ」
「でも、どうして黙ってたんだよ」
「なにがじゃ?」
「妹がそんなことになっている事、忍は気づいていたんだろ?」

 下の妹は、忍の存在を知らない。
片耳豚の力の外側に居たんじゃないのか?

「なんじゃお前様よ。いつだったか風呂で妹御に目撃されたのを忘れたのかの?」
「……あぁ、そういやそんなこともあったな」
「それに、関わった存在全てに影響すると言ったろうに、
 関わり合ってなくても関わっているだけで十分なのじゃ。
 もしあの日妹御に目撃されてなくても、儂はお前様越しに十分関わってると言えるじゃろうしの」
「成る程な。……で、どうすりゃいいんだ?
 こうして闇雲に探しててもそんな奴相手じゃまず見つけられないだろ、
 どうやって追っ払うんだよその片耳豚って怪異は」
「簡単じゃ、憑かれた人間と会って、話して、その存在を認識すればいい」
「いや、だから会えないんだってば」
「会えないのは憑かれた人間が消えたり、見えなくなったり、
 寄せ付けない何かを発してるからではないのじゃ。
 お前様よ。会えないと言ったが、そもそもここ数日の間に会おうという自主的な行動は取ったのかの?」

「それは……」

 取っていない。
取ろうとも、思っていなかった。
接触する手立ては幾つもあったのに、
まったくそれらに手を伸ばしては居なかった。
会おうと思って会えなかった訳じゃない。
会おうと思ってなかったから、会ってなかっただけなのか?

「その通りじゃ、怪異が寄せ付けぬのではない、周りの人間が近寄らなくなる」
「それじゃあ、つまり」

 つまり、会おうと思えば会えるのか?
いとも簡単に?

「うむ。じゃからこのまま闇雲に探していても
 それはそれで時間をかければ見つけられるじゃろうが、
 そんな事をしなくともお前様にはもっと便利な小道具があるじゃろう?」
「届くのか? 携帯の電波とか、そんな物が」
「なんなら、試しにかけて見るといい」

 甲高いブレーキの音を立てて自転車を止めて、
制服のポケットから自分の携帯電話を取りだす。
電話帳に登録された阿良々木月火の名前が画面に表示される。

 カチ。と親指に力を込めると
乾いた音と共にボタンが沈み、
画面には呼び出し中の文字が浮かぶ。

 それを確認して耳元に運べば、
コール音ではなく最近の流行曲が流れてくる。
二秒、三秒、四秒。
サビから始まった曲がメロに入る直前で。

『もしもし』

 ここ数日聞いてなかった、
もはや懐かしさすら感じる“月火”の声が聞こえた。

「も、もしもし。僕だけど」
『……なに』
「いまから直接会って話がしたい。
 家の近くに小さい公園が一つあるだろ? 
 あそこまで来てくれ、じゃあ」

 言い切り、通話を終了させて携帯をしまって
自転車の向きを公園に向けて修正する。

「お前様よ。前回に血を吸ったのは丁度一週間位前になるが、
 どうじゃ? 一応今吸っておくかの?」

 この後の展開を予想してか
忍が意地悪そうな笑みを浮かべて自分の牙をちらつかせる。
僕は、一瞬だけ迷った後。
「……いや、良いよ」と小さくかぶりを振ってそれを断った。

「ほう? 豚は存外強暴じゃぞ?
 さらにはお前様の妹御の性格が上乗せされておる、
 今のままでは万一の場合なにもできんぞ?」
「それで良いんだよ」

 なにもできなくても、良い。
なにかしちゃ、いけないんだ。

「僕はあいつの兄だからさ、
 今から向かうのも仲直りするためじゃなくて
 半ば殴られに行くような物だしな。
 だからそれは吸血鬼の僕じゃなくて人間の僕として行かなくちゃ」
「……ほう、縁の切れかけた妹御によくもまぁと言った所じゃな。
 ヘタすると死ぬかも知れぬというのに」
「そんときゃそんときだ。
 殺されても文句言えないだろ、今回はさ」


 それだけの事は、したと思う。
そう思えるだけの判断力は、残ってる。

「お主が死ぬと儂もつき合わされるのじゃがの、
 まぁお前様の好きにすればよかろう」
「ごめんな忍」
「謝罪など、いらんわ」
「じゃあ、ありがとう」
「礼などもっといらんわ戯け。行くなら早くせんか」

 照れ隠しかなんなのか、
ぶっきらぼうにそう言って。
忍は僕の影に戻ってしまった。

「さてと、そこのけそこのけ愚兄が通るっと」

 05.

 僕の家から徒歩で二分もかからない小さな公園で
月火は一人で退屈そうに立ち呆けていた。
平日の朝という時間の所為か、
それとも単に立地の問題なのかはわからないが
公園で遊んでる子供やそれを見守りながら世間話に華を咲かせる
お母さん達の姿は見えない。

「よぉ。まさか本当に来るとはあんまり思ってなかったよ」

 まるで月火の固有結界のような
周りから浮いて隔絶された公園に、
僕は自転車を押しながら足を踏み入れた。

 快晴ではないにしてもそこそこに晴れ間が見える空を
一人見上げるようにしていた月火は僕の言葉を聞いてこちらを見る。
それは怒り溢れる目でも、無感情な目でもなく。
むしろその逆、迷子になった子供が親を見つけた時の様な
「やっと会えた」と言った感じの安堵の表情だった。

「……お兄ちゃん」
「あぁ、お兄ちゃんだ」

 失格かも知れないけど、
月火がそう呼んでくれるなら
僕はお兄ちゃんだ。


「随分久しぶりな気がするな」
「そうだね。もう二度と会えないんじゃないかと思った、
 お兄ちゃんとも、火憐ちゃんとも、誰とも会えずに終わるんじゃないかと、思った」

 ほんの一瞬で消えた安堵の代わりに
今月火の顔を覆っているのは寂しさと切なさ。
見ていて痛ましく思う位の痛切な表情。

「すぐ近くでずっとお兄ちゃんや火憐ちゃんの声が聞こえるのに、
 その場に行けない、行っても居ないし会えない」

 ぽつぽつと、月火は回想するように呟く。


 僕は月火の言葉を意識的に聞きつつ、
周囲にそれらしい気配がないか探ってみる。

「最初は、ただの喧嘩の延長だと思ってたし
 会わない事にべつになにも思わなかった」

 十四年間月火の兄をしてきた僕の見る限り、
月火自体に異常や異変は見られない。
なにかがとり憑いていたり、操られてるような様子もない。
忍が言っていた通り、連絡も取れたし、こうして会うこともできた。

「いつもみたいに、すぐに仲直りできる。
 お兄ちゃんがごめんねって言って、
 私がちょっと怒って、それで終わると思ってたのに」

 けれど僕の月火への興味は以前と薄れ掠れ消えかかったままだ。
目の前に居るのに、今にも忘れそうな程。

 さて、どうしたものか。
会って、話して、存在を認識しろと忍は言っていた。
そして今、月火と会い、話して、目の前に居ることを認識している。
なのにどうしてなにも変わらないのだろうか、
どうして月火を妹と認識し、どうにか彼女を救わなくては思っているのにも関わらず、
同時にあまり仲の良くない知り合いの友人と会っているような
そんな白けた感触が僕の中に蔓延っているのだろうか。

「お兄ちゃん」
「うん? なんだよ」
「私は悪い子? いらない子?」

「そんなこと……」
「あるよね」

 ないと言おうとして、
でも何故か言いきれなくて。
月火は今にも泣きそうな笑みを浮かべて続きを引き取る。

「お兄ちゃんにも、火憐ちゃんにも迷惑一杯かけたもん。
 家族でなきゃ許せない事、一杯。
 兄妹でも、許せないこと、一杯」

 なにを言ってんだ。
迷惑? そりゃかけられたよ。
嫌になるほど、逃げたくなるほど、思い切りかけられた。
元の数字がわからなくなるくらい掛けられて、積った。
でももうそんなの今更だろ?
全身隅なくかけられてびしょ濡れになっちまったらさ、
もうそれ以上いくら掛けられても堪えない。

「だから嫌われても仕方ないよね。
 みんな私の前から消えちゃっても仕方ないのかな」

 なにも知らず、この原因も知らない月火は。
多分、自分の意識をきっちり保ったまま、
阿良々木月火として、この数日孤独になってしまったのだろう。

 気配はするけど会えないと
火憐はそう口にしていた。
いまとなっては本当に火憐が月火に会おうとしたのかどうかはわからない。
僕みたいにもしかしたら口だけで向かい合っていなかったのかも知れないけど、
とにかく僕等にとってそうなったのは月火だけだった。

 けれど、事の中心の月火は違う。
まとものままで、怪異の存在も知らずに、
突然ぽつんと独りぼっちになってしまった。
僕等が月火に会えなかったのは、単に会おうとしてないからだった。
自分達から離れていって、遠ざかって、勝手に見失ってるだけだった。
でも、月火は多分会おうとしたのだろう。
何度も何度も、誰かと触れ合おうとしたのだろう。
そして、いままで誰とも会えなかったのだろう。
そんな、そんなことって。

「そんなことって、あるかよ……」

 それはどれほどの絶望だろう。
どれだけ悲しい出来事だろう。
想像するだけで、悲しくて、悲しくて。

 そんな残酷な事があっていいのかよ。
そんな可哀想な事があって、いいのか。
たった14歳の女の子に、辛辣すぎるだろ。
思えば思うほど、悲しくなって、辛くなる。
同時に、怪異への怒りも呼応して高まる。

「どうせ私は、いらない子なんだ」
「ふざけんなっ!」

 だから、怒鳴ってしまった。
この場に居る筈の肩耳豚に向かって、
僕の怒りをぶつけるかのように。

「いらない訳なんかねえだろ!
 嫌いになる理由なんか欠片もないだろ!」

 突然怒声を上げる僕に月火は一瞬だけ肩を震わせて、
けれどすぐに僕を強く睨んで怒鳴り返してくる。

「お兄ちゃんの嘘吐き!」
「嘘じゃねえよ! どれだけ喧嘩しようが仲違いしようが
 僕は月火ちゃんの事が大好きだよ!」
「ずっと避けてたくせに!」

 怪異の事など知らない月火は、
ただただ自分が怒鳴られていると勘違いを起こし、
そして反抗するように怒り、怒鳴る。
僕もまた、それに答えるように言葉を重ねる。
まるでただの口喧嘩の様で、
その実、互いに違って、ずれて擦れている。

「避けてた訳じゃない、すれ違ってただけだ!」
「なにそれ無茶苦茶!」
「無茶苦茶だよ! 滅茶苦茶だしわやくちゃだよ!
 でも嘘じゃないし誤魔化しでもねえぞ!」
「うっ、うるさいうるさいうるさい! お兄ちゃんなんか――」
 
 そんな応酬の最後。
月火は一瞬躊躇った後、大きく息を吸い込んで叫ぶ。

「死んじゃえ!」

 その言葉を言い終わった瞬間、
月火は僕に向かって駆け出した。
否、駆けたなどという言葉じゃその速度を表現できていない。
飛んでくる。否々、ぶっ飛んでくるとでもいう速度。
地に足が着くたびにまるで足裏で爆発が起きてるかのように
地面が抉れ、土煙が舞い、踏まれた小石が砕けて散る。
およそ人間の脚力とは思えないダッシュで。

 僕がぶっ飛んできた事を認識した時には
月火は僕の目の前で深く腰を沈めていて。
「これはヤバイ」と思う頃には、
その人外の筋力から生み出される強烈な拳が
僕の顎を完全に捕らえていた。

「ぐがぁっ!?」

 声にならない声が喉から漏れ、
僕は殴られた勢いで地面と引き剥がされ。
重力に逆らうような動きで数メートル離れた
公園の名前が書いてある石造りの柱に激突した。

 顎を打ち抜かれた所為で頭がふら付く、
背中を強打した所為で呼吸も乱れる。

「……マジかよ。大乱闘みてえなぶっ飛び方したぞ」

 多分顎の骨に皹が入ったのだろう
喋ったら顎に違和感と鈍い痛みが走る。
けれどそれも一瞬のこと、
他のダメージと一緒にすぐに消えて無くなり完治する。
いくら一週間前に飲ませたきりとはいえ、
こういう日常でありえるレベルの怪我ならそこまで時間をかけずに治ってしまう。

「え……。なに、今の」

 内臓である脳が受けた衝撃の所為で、
身体は完治しても残るふら付きに足をよろめかせつつ立ち上がると
月火は今の感情的な行動の結果に困惑し、呆けている。
もしそうでなかったらすぐに追撃を受けていただろう。


 もし今の破壊力で追撃を受けたら
今の治癒力じゃまるで間に合わない。
相手は毎ターン竜の怒り、
自分は毎ターンキズぐすりみたいな物だ。

「月火ちゃん」

 動揺して、混乱してる月火に僕は話しかけながら
ふら付きの収まった足で立ち上がり、
わけがわからないと言った様子の月火に歩み寄っていく。

「こないでよお兄ちゃん」

 月火は言いながら一歩後ずさるが、
僕はその間に三歩近づく。
そうして吹っ飛ばされたことで空いた距離を生めて
月火の肩をつかむ。

「やめて!」

 胸の、丁度肺の辺りに月火の突き出した両手がぶつかり
再び三メートル程吹き飛ばされしばし絶息する。

「がっ!」

 呼吸が止まり、目の奥で光が瞬く。
それでも僕は回復を待たずに立ち上がり、
月火にまた近づいて行き、そして吹き飛ばされる。
殴られてぶっ飛び、鉄の柵や街灯、
果ては公園を越え、道路を挟んだ向かい側のブロック塀にと
様々な物に叩きつけられ、その度頭や、背中を中心に
全身をしこたまぶつけ鈍痛が走る。

 それでも僕は月火に歩み寄る。
何度突き飛ばされても
どれだけ遠くに吹き飛ばされても。

「どうしてっ!?」

 一体いつまでその不毛なやり取りを繰り返した頃だろうか、
僕の身体よりも先に月火の方が音をあげ、声を荒げた。

「どうしてお兄ちゃんはっ! なんで!?」
「意味が、……わかるように……喋ってくれ。月火ちゃん」

 これが満身創痍です。と指差されそうな具合の僕は、
それでもやっぱり身体を引きずりながら
支離滅裂に感情のまま叫ぶ月火に歩み寄る。
後三歩。

「こんな、こんな気持ち悪い私なんか放っておけばいいのに!」
「放って、置ける訳……ないだろ」

 あと二歩。

「なんで! なんでいつも!」
「そりゃ、僕が月火ちゃんのお兄ちゃんだからに決まってるじゃないか」

 あと、一歩。
 

 最後に一歩、近づいて月火を抱きしめる。
もう、月火は抵抗をしなかった。
そのちっさい身体を丸めるようにして、
臆面も無く涙を流して、嗚咽を上げて。

「そんなにボロボロになって、……馬鹿みたい」
「なんだ知らなかったのか。お前の兄ちゃんはかなりの馬鹿だぞ」
「お兄ちゃんはずるいよ」
「なにがずるいんだよ」
「いつも私の事なんか放って、火憐ちゃんとばっかり仲良しなくせに、
 こういう時だけ、格好付けて」

 僕の腕に収まりながら、
月火は愚痴るように心に秘めていた言葉を口にする。
僕はただ、それを聞いて、頷いていた。

「もっと、私の事も構ってよ。
 こんな時じゃなくても、私を見てよ。
 私を除け者にしないでよ。
 まるで火憐ちゃんだけのお兄ちゃんみたいで、
 ずっとずっと寂しかった。
 いつも私だけが蚊帳の外みたいで、独りぼっちで、
 でも私が二人を止めなくちゃって、思っちゃって、
 それで、それで」

 そこから先は、ただの泣き声だった。
人目も、恥も外聞も気にせず、
腕の中で泣き続ける月火を。
多分この時やっと僕は認識した。
心情の吐露を聞いたからか、
もしくは抱きしめたからかはわからない。
でも、僕は確かにこの瞬間怪異の影響から逃れた。
逃れて、月火に対する感情を取り戻して、
途端に涙が出た。
月火に対する愛しさや、
彼女の口から出た思いに、泣いた。

「ごめん。ごめんな月火ちゃん。
 気づいて上げられなくて、ごめん。
 不甲斐ない兄で、本当にごめん」

 誰も居ない午前中の公園で、
兄と妹が二人抱き合って泣いていた。
ずっと、ずっと。

「お兄ちゃんは、私のお兄ちゃんだよね」

 そうして、しばらく抱き合って。
お互い落ち着いた頃に、月火は僕を見上げてそういった。

「あぁ。月火ちゃんが産まれる前から、
 そして僕が死んだ後になっても、僕は月火ちゃんの兄で、
 月火ちゃんは僕の妹だ」
「本当に?」
「当たり前だ。だから、月火ちゃんも一歩引かずに
 火憐ちゃんみたいにもっとぶつかってきていいんだ。
 甘えたいなら甘えれば良い、構って欲しいならそういえば良い。
 見て欲しいなら近づいて来れば良いし、話したいなら話かけてきて良いんだ。
 そうしたら僕も、甘えさせてやるし、構ってやる、
 穴が開くほど見つめてやるし、耳にたこができるくらい色んな事を話してやる。
 僕も、月火ちゃんにそうするから」
「うん、うん」
「約束、破ってごめんな」
「うん」
「今度埋め合わせするから」
「絶対だよ」

 頷いて、そして不覚にも僕が可愛いと思ってしまうような
儚い微笑みを月火は浮かべ、そして眠ってしまった。
心身共に疲れ果て、暴れて、安心して。
それまで張り詰めていた糸が切れたように、
僕に身体を預けて無防備に眠る月火。

「さて、家に帰るか」

 まだ回復しきっていない身体に鞭打って、
月火をお姫様抱っこの状態にもっていく。
本人が知ったらなんと言うか。

 苦笑をしながら月火を抱えたまま公園を出る。
たまたま居た通行人が訝しげに見られながら、
すぐそこの僕達の家にたっぷりと時間をかけて歩いていく。

 歩いて、着いて。
そして月火を抱えたままどうやって玄関を開けようかと思ったところで。

「おかえり、兄ちゃん。月火ちゃん」

 待っていたかのように、内側から扉は開いた。

『ただいま、火憐ちゃん』


 06.

 後日談というか、今回のオチ。
いつも通り火憐に危ない起こし方をして、
それを月火が止めに入って、僕はその騒動で目が覚めす。
余りにもいつも通り過ぎて違和感を覚えるほどに、いつも通りの朝だった。

 ――あの後、一頻り寝て夕方頃に起きた月火に
火憐と二人で謝って、改めて仲直りを果たした。
その際僕と月火がした公園でのやり取りの話になったが、
どうやら月火はいまいち覚えていないらしく
ただ家出をした自分を僕が探して
口喧嘩になった末にラストの思い返すと恥ずかしいやり取りに繋がったと
そんな感じに認識しているようだった。

「ほら火憐ちゃん! 早く部屋からでていって!」

 今もこうして部屋の入り口で火憐を追い出そうと
躍起になっている月火はどこまでも普通で、
昨日の一部始終を覚えているようには見えなかった。

 けれど、仮に覚えていたとしても
それはそれで構わないと思う。
むしろ、良い切っ掛けだと思うかもしれない。
もう二度と妹達を巻き込まない為に、
知っていても知らなくても巻き込むならせめて対処できるように、
僕はやっと妹達に全てを話す決意ができたのだから。

「お兄ちゃん」

 そんな風に決起する僕に、
とっくに火憐と部屋をでたと思っていた月火が声をかけてきた。

「昨日は、心配かけてごめんね」

 月火は少し俯きがちに、
頬を微かに染めながら小さく呟く。

「それに色々と、ありがとう。格好よかった、よ……」

 指先を胸元でもじもじさせながら、
微妙に歯切れの悪い台詞を続ける。

「お兄ちゃん。埋め合わせ、期待してるから」

 そしてはにかみながらそう言って。
月火は僕の部屋を後にした。

「お前様よ」

 いつも通りと思っていたら
全然いつも通りじゃなかった月火に呆然としていると、
いつの間にかでてきていた忍がどこか冷めた声で告げた。

「これで二人の妹を両方攻略し終えた訳じゃが。その感想はいかがかのう?」
「……マジかよ」
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Comment

お疲れ様でした。

乙でした。

あとがきは前にブログで書いてたやつだね。

>あとがき

はいそうです
というかあの諺カテゴリの記事は全てあとがきに使うために書いてたりします

No title

乙でした
ところで、八九寺遭遇の最後の部分が抜けてませんか?
大人はずるい位でちょうどいいってくだりが

No title

おうふ、気づかなかった

修正しましたので許して下しあ


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