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 価値のわからない物に高価な物をあげたとしても無意味である。
見たいな意味合いの言葉で『豚に真珠』という諺があります、
これはもう適当に諺をあげてくださいとそこらの老若男女に言ってみた際の
でた回数上位に入ることはもう疑いようの無い事実ですが。

 しかし、この諺。
その意味からどうしてもあまり良い意味では使われませんよね、
他人に使えば罵倒、自身に使えば自嘲、と言った感じになってしまいがちです。

 ですがそれはつまり価値がわからない、豚にとって真珠は魅力的ではない、
そういった事実がよろしくない、という意味では無いと思うんです
むしろ馬鹿と鋏は使いよう、みたいな、そういった印象を覚えるのは自分だけでしょうか?

 価値がわかる。ということは、それに惹かれるという事です。
アレはこうだ、ソレはどうだ。自分の中で評価をつけてしまう要因です。

 逆に価値がわからない。ということはそれに興味がもたれることは無いという事です。
自分の中で評価をつけるとしたらわからない。そこから派生してのつまらないとかなるわけで。

 自分としてはどちらに物を預けたいかというと後者です。
前者は自身の中で評価を低いと下したものを粗雑に扱う可能性があり、
非常に高いと下したものは下手すればそのままドロンという可能性もあります。

 けれど豚は価値がわからないので全てを等価に扱うわけです。
安全性としてはともかく、安定性としてはこの上ないですよね。
敵を騙すにはまず味方からとかいいますけど、豚は知らないので騙す必要すらなく、
最も苦労する味方を欺く作業がカットできるので非常に楽でしょう。

 何も知らない人間のほうが、中途半端に知ってる人間よりも
有能というか有用なのは実際確かな話です。
企業とかでも、同種他社で働いてた人間よりもまっさらな新人の方がいいとかいいます。
比べる相手が居ないし、変な癖もついてないから教えやすいとか。
そういう意味でも価値を知らない、なにも知らない豚はやりやすいとか。

 まったくの私事ですが。
個人的には同じようになにも知らない動物でも、豚よりはマグロの方が好きです。
二重愛好者は実は自分だったりします。お粗末でした。 
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 口頭での約束は当てにはならない、
しっかりとした違える事の無い契約をしたいなら物を書け、それを保持し続けよ。
といった感じの諺で『書いたものが物を言う』というものがあります。
これは多分皆が皆知ってるという物ではないだろうと思いますし、
自分もあんまり知識として浸透してる物ではないのですが。

 しかしどうでしょう。
書いたものが物を言う、これは少し本来の意味から外れますが
物書きという立場を選択して進んでる自分のような人間には
少し考えさせられるような物があります。

 作者が語らずとも作品には作者の意思や意図や意向が含まれており、
作品を読み解くことで作者の本質が見える。
とかそういった事を小学校の頃にも国語でやった覚えがあります。
実際、創作上の登場人物に自身の考え、主張、趣向、そういった物を語らせると言うのは
非常によくあるように思います。
そして他の登場人物にそれに反する主張を言わせることで
一人ディベートのような考え方の整理を行ったり、
結構自分はそういった感じで自分の中のなにかを作品を書くと共に確立させています。

 察しの通り、自分と言う人間は特定の一人物に大きな影響を受けていますが、
しかしかといって他に影響を受けてる人物が居ないと言うわけでもないです。
その複数の影響を受けた人間の主張を作品内でぶつけて、
自分なりの新しい考察を作ったりとか、そういうの、好きです。
漠然としたイメージが形になっていく感覚。
曖昧模糊とした抽象的な何かが輪郭をはっきりとさせていく感触。

 好きです。いずれ来るだろう飽きができるだけ遠いことを願います。
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 追い詰められた者は時に強者に一矢報いる事もあるという感じで
『窮鼠猫をかむ』という諺があります。
この諺がかなり普及している物であることは誰に同意を得るまでも無いだろうと思いますが、
しかし猫を噛んだ鼠はその後素直に殺されて置けばよかった思うほどに
ずたぼろにされるだろうことは想像に難くありません。

 実際下手に抵抗した挙句がこの様ってのは度々あります。
むしろ悪あがきをした分だけみっともなく、情けなく、どうしようもない感じが圧し掛かり
それは確実に鼠をさらに追い詰めるだろうと思います。
傍から見る側からすれば素直にやられておけばよかったのに、という
そういう状況。

 下手に番長に一発入れた所為で
本来ならパンチ一発で済む所を半殺しにされたりとか。
銀行強盗の犯人が素直に捕まれば助かったところを
下手に逃げようとして射殺されちゃったり。
物事には往々にして一矢報い損な場面が存在します。
素直に折れる所、諦める所、
妥協して、譲歩して、被害を最小限に抑えようとするやりかた。
多分それが賢い生き方って奴なんだと思います。

 まぁ賢い生き方ってのは大抵格好良くない生き方です。
逆に格好良い生き方、ってのが賢くない生き方なのかといったらそうでもなかったり、
物事というのは当然ながら上手くは運べずに躓いてしまいます。
それで上手く転べば良いのですけど、それもできずにただ運んでいた事態をぶちまけて
自分も怪我するという悲惨な結果に収まりがちで、なんだかなぁとしか言い様がありませんね。
本当。

 
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 よく質問しようかどうか迷ってる小学生など相手に使われる
『聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥』という諺があります。
誰でも知っている諺の一つであることはもう疑いようのないことですが、
例の如く私はこの諺があまり好きではありません。

 聞かぬは一生の恥といいますが、
それは単に聞かないままに話に乗っかり無知を晒す事が恥であって
聞かぬ事自体は恥では無い筈です。
だって、知らないことを知られてないんですから。

 それに聞くは一時の恥ってのもあまり腑に落ちません。
聞いた物によってはそれこそ末代までの恥にもなりかねません。
その辺は聞く物の如何にもよりますけれど、
すべてを乱暴に一括りにしすぎじゃないかと思います。

 それともこの諺の創造主は聞かなかった事が原因で
なにか大きな、それこそ恥じて恥じて自決すら選択しかねないほどの
大赤っ恥でも掻いたのでしょうか?
どうでもいいんですけど。

 まぁどうしてもなにかを誰かに聞きたいなら、
とりあえずは遠くに行ってそこで聞くなり、聞かぬなりを考えればいいんじゃないでしょうか?
どうせ恥を掻いても旅の恥は掻き捨てと言いますし。
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 数をこなせばいつかは成功するという
なんというかがむしゃらな感じの『下手な鉄砲数打ちゃ当たる』という諺があります。
この諺もとても有名できっと小学生でも知らない人間は相当少ないだろう事は
もはや誰に問う必要もないだろうと思いますが。

 けどこの諺、自分は好きではありません。
だって、数打ちゃ当たるってのは
あくまでも打ってる側と獲物にのみ焦点を置いた言葉でしかないからです。

 二十発打って、最後の一発が偶然獲物を仕留めたからと言って
十九発が当たらずに一発しか当たらなかったとのたまうなら
ちゃんちゃらおかしいと自分は思います。

 なぜなら先んじて獲物を仕留め損ねた十九発も
獲物以外のなんらかの物体に当たっている筈ですから。
シューティングゲームの弾みたいに、画面外に行ったらそれで消えてなる
なんてことは当然ありはしません。

 一発は地面をこそぎ、
一発は大木を削り、
一発は葉を貫き、
一発はもしかしたら狙っていた獲物とは別の動物を仕留めてるかも知れません。
少なくとも虚空に消えることなどなく、その弾丸はなにかを傷つけています。

 けれどなぜか人間はそれらには目を向けず、
まるで世界に自分と獲物しか存在せずそれから外れた弾はなかったかのように振舞います。
明後日の方向に飛んだ弾が通りすがりの人間のこめかみを貫通したかも知れないのに、
そういった可能性には目もくれません。
そして当たった側の人間は運が悪かったの一言で済まされてしまいます。
確かに運は悪かった。それは事実でしょう。
けれど、銃を持つものならそういった所に責任を持って欲しいと思います。



 まったく関係ありませんが、
真上に打ってなににもぶつからずそして自分の下に戻ってきた弾丸が欲しいとか思います。
手元にあるのは空砲かひしゃげた弾ばかりなんで、
薬莢から離れた弾丸ってのが少し欲しいです。

 まぁ地球が回っている以上真上に打っても自分の下に戻っては来ませんけどね。
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